いうまでもなくこの選挙は、国政との関わりから非常に大きな意味を持った選挙であり、相次ぐ政治腐敗により国民の政治不信が高まる中で、政治改革や、PKOをどうするかも大事ですが、何と言っても都議選の主たるテーマはこのマンモス都市、世界都市東京を今後どうするのかが、まず第一に問われるべきだと思います。
東京はメガロポリスとして、もはや一地方公共団体の範疇を超えた行政体であり、「東京問題」は裏返して言えば、いかにして地方の活性化を図るか、ということとまさに表裏一体の関係にあるわけです。
私も地方の経営に携わってきました(熊本県知事)が、鈴木現都知事は美濃部都政の借金財政を立て直すなど優れた行政手腕を発揮してこられました。しかしこれから大事なことは借金を返したということだけでなく、東京都という経営体の売上げをどれだけあげるのかということが、何よりも問われなければならないことではないかと思います。
メガロポリスの長の顔は、首相と同じぐらい大きな意味を持っていますし、その世界都市東京の議会に、都政のあり方についてしっかりとしたビジョンや見識を持った人たちが選ばれることが、東京の発展のために肝要であることは言うまでもありません。
それでは東京の将来について、どのような理念を持っているのか。私に言わせれば、それは、土着的表現でしかない「マイタウン」とか「ふるさと東京」ということではなく、何よりも「文化」の面で世界に対する貢献、国際的な役割を果たす、そうした事が求められているのではないかと思っています。
東京一極集中の抑制を
首都圏には現在すでにわが国全人口の25%が集中'しています。各種のシンクタンクの調査によると、この数年間の人口移動傾向が今後も続くと仮定すると、首都圏の人口はやがて4,000万人に達し、それは全人口の30%に達すると予想されています。逆に秋川県では30%近くも人口が減り、全国の道府県の人口も平均して15%減るという予測がなされています。
ここ15年くらいの間に、東京23区内に集中していた人口は、急速に千葉県成田市や茨城県つくば市など、東京から60キロ圏内に広がり、それがまた、たちまち群馬県高崎市や茨城県水戸市といった100キロ圏にまで拡大し、いまやそこでも収用しきれなくなって、仙台、新潟、名古屋など東京都心から300キロ圏の範囲に人口の51%、工業生産の60%、ハイテク産業の70%が集中しています。
1994年には首都圏のゴミ処分場は満杯となり、2000年の給水可能人口は3,300万人が限度だと言われています。マイタウン東京はいつの間にかマイオフイスタウン東京になってしまいました。一方で、東京以外の地方は若者の流出、高齢化が進み、日本の国土はすっかりいびつになってしまっています。
先の行政改革推進審議会の答申でも、東京一極集中の抑制のために臨海副都心や業務核都市のような大規模プロジェクトについては、政府がお墨付きを与えて、その計画を推進したり財政的な支援をすることについては慎重に対応すべきだということを指摘し、またオフィスの集中についても、住居地域への進出を規制すべきだということを答申しました。第二次行政機関の移転や、大学の新・増設、定員増についても抑制すべきだと言うことを書いたわけです。
東京に文化のストックを
しかし、そのようなファンクション(機能)の分散方策だけで果たして東京一極集中の解決になり得るのだろうかと考えますと、率直に言って、やはりそれには限界があるという感じを持たざるを得ません。私の考えでは東京問題の本賀は、ある意味で「文化の問題」て、はないかと思っています。
なぜなら、いまや建築家、芸術家などの約60%は東京23区内に居住しています。またテレビや、雑誌にしても、ほとんどが東京から発信され、若い人たちがどんどん東京に吸い寄せられてしまう。そうした状況を是正して行くためには、あらゆる価値観に対応できる多様な文化状況を、それぞれの地域に拠点的に造り上げて行くしかないと感じているところです。
過去の臨調、行革審は、いわば機能の分散方策しか論じて来ませんでした。しかし、これから作成される五全総(第五次全国総合開発計画)では東京問題を、ぜひとも文化の視点から取り上げるべきだと思っています。
東京はいまや世界一の文化のフローのマーケットになっていますが、大事なことはこれからどれだけ文化のストックを増やしていくかであり、世界都市東京の将来はそこにかかっていると言っても過言ではありません。
ベルリンにはベルリンフイルがあり、ウィーンにはウイーンフイルがありますが、どれだけそうした都市のイメージを高める役割を果たしているか。それこそがストックであって、世界都市東京に大きく欠けているところです。
例えばポリショイバレエなど色々なものが来ても、それは皆、お金にまかせて呼んできたものであり、相撲や歌舞伎だけでなく、東京にどういう文化のストックを作って行くかということが、これから極めて大事なことではないかと考えるゆえんです。
しっかりとしたマスタープラン確立を
少し現実的な立場になって考えてみると、東京の面積はパリの6倍もの広さがあるわけですから、今の人口でも建物の高層化など土地利用の仕方如何では通勤、通学、交通渋滞の問題など、まだまだいくらでも快適に暮らせる手が打てるはずだと思います。
ただ、その場合に問題となるのは、住宅などは整備できても、それを支える水や電気、ガスなどの「ライフライン」が物理的にそれに追いつかないという致命的な問題があるということです。
水の問題一つとっても、東京は40日間雨が降らなければ日干しになってしまう。そのようなことを考えると東京の人11の適正規模はやはり1,000万人ぐらいなのではないか、と言えるでしょう。
いつか英国でニュータウンづくりを見て感じたのは、その地域の特性に応じて人口規模を定め、周辺を数百メートル幅のグリーンベルト(森)で囲み、既にその中にある家屋の改築などは厳しく規制をする。また交通網、教育文化環境などを整備し、なによりも快適な生活空間づくりに意を開いているということでした。
日本の場合には、例えば多摩ニュータウンなどにしても、いわば「ねぐらづくり」をしただけのことで、そこに各種の教育機関とか、生活施設とかあるいは交通網の整備などが、魅力のある、住みやすい生活空間をつくる意思のもとに考えられたとはとても思えません。
つまりマスタープランがなかったということです。 世界都市東京が文字どおり魅力的な世界の都市になるために今後は、しっかりとしたマスタープランを創り、人口などについても適切な成長管理をして行くことがどうしても欠かせないのではないでしょうか。
国際文化都市と呼ばれるのにふさわしい東京をめざして、その東京の議会にふさわしい人を送り出す事が先ず何よりも当面の課題だと思います。( 談)