東日本大震災から一年…… | 日本元氣計画!! 中村たかし

日本元氣計画!! 中村たかし

 7歳より「世界を平和に出来るのは俺しかいない!」と世直しを志す。日本新党広報部次長(細川護熙首相)、日本創新党選対副委員長など。現在は、日本元氣計画!代表、平成立志社代表、元氣NIPPONプロジェクト事務局長              

東日本大震災の発生から、早くも一年が過ぎ去ってしまったんですね……

あの日、いつものように会社(東京都渋谷区)で仕事をしていました。午後2時46分の地震発生ですから、東京が揺れを感じたのは少し遅れてであろうと思います。
「あっ地震だ。震度2ぐらいかな3ぐらいかな……。」「しかし今日のは長いね。まだ揺れている」

そのうち不意にグラっと来ました。本棚から書類ケースが滑り落ち、パソコンのキーボードを直撃しました。

通常ならば、机の下にもぐるのでしょうが、私たちは全員、本棚を押さえに走りました。

震度5強……東京では関東大震災以来です。(5弱は2回くらいありましたかね……)
次にテレビをつけ、テロップに宮城県栗原市震度7の文字を見ました。「これは津波が来るぞ」
そしてしばらくしてから、テレビに映し出された映像に言葉を失いました。
あまりにもあまりにもあまりにも壮絶な光景……
特に夜に入ってから、津波の大被害を受けた気仙沼の町全体が炎に包まれているのを見たとき…私の同志T君のご家族が気仙沼にいるので、これはもうどうにもならないのでは……と思いに胸が痛みました。
(幸いT君のご家族は全員無事でした。しかしやはりご親戚の方に犠牲者がいらっしゃいました……)

もう一年も経ってしまったのですね。今日はテレビも新聞もラジオも特集を組んでくれました。
しかしどうしても被災地以外に住んでいる方には、遠い国の話のようになってしまっていることが残念です。

被災地では瓦礫の処理が全く対応できないほどの量なので、瓦礫を他の県で処理できないだろうか……という問いかけに手を上げた自治体の中で、ヒステリックに反対の声をあげる一部住民の姿……
吐き気と本当に強い怒りを覚えました。
「何が絆だ!」「自分たちがその立場に立ったときに、どういうことを思うのか、その想像力すらないのか」

横須賀市で開かれた説明会で怒声を上げて瓦礫受け入れに反対していた人間は、実は横須賀市民ではなかったそうです。
こういう連中は本当に国外に追放したい!

さて我々今後何をすべきか、少なくとも私は何をすべきかと考えました時に、以下の三つを行動致しますことを宣言します!

①出来うる限りの寄付をする!

今朝の朝刊で日本赤十字社の広告が載りました。日赤にせっかく寄付をしても配分の決定が遅かったり、手数料を通常は20%取るという報道があったりで、一時は日赤に寄付をする意欲が失せました。
しかし今朝の広告で「東日本大震災復興支援への寄付については手数料を取らない」「今までの分の配分は決定し、配分を完了した」「寄付の受付期間を今年の9月30日まで延長する」との3点が確認できました。

よって日赤への寄付を再開します。
その他も使いみちが明確で趣旨に賛同できる団体などには積極的に寄付をします!

②被災地支援団体を支援する。
私は「リアス気仙沼。」と「山田町応援団」に所属をしております。
山田町応援団は、全国の山田さんが山田町復興に力を貸せば、あっと言う間に復興できるぞと高松洋子さんという東京在住の友人が呼びかけをして、大きく成長してきました。
各被災地の市町村に同じような応援団をすべて組織していただいて、国民全員がどれかに少なくとも二つ所属する。
そうすれば、もっともっと復興へのスピードが加速すると思います。
応援団に所属して、その町のことを考えれば、自分の問題になるのではないでしょうか? 
どこで災害が起きるかわからない日本です。助けていただいた方を今度は助ける番がくるかも知れません。
本当に“お互いさま”ではないでしょうか?

③被災地のものを買う!

銀座などを歩いていましたら、被災地支援の特設マーケットを何度か見かけました。極力買おうと思いますし、インターネット販売でも取り寄せたいなと思います。

この3つをしっかりと実現します!!!

中村 崇