『今日誰のために生きる』ひすいこたろう著 | パーマン三号のブログ

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歳を取るとよくものを忘れます。

固有名詞ならまだしも、最終的には普通名詞も忘れるそうです。

あるご老人は、ある日突然「箸」を持ったまま何やら考えているようす。

「おじいちゃん、早くご飯食べたら」

と言うと

「これはなんだっけ」

と箸をもっていうそうです。

昨日までは普通にご飯を食べていたのに…

それが「箸」であること、ご飯を食べる時に使うものであることを忘れてしまったらしいのです(『60歳のトリセツ』黒川伊保子著より)

こんな状況で、ニコニコ出来る人はまずいないでしょう。

しかしアフリカのブンシュ村では

「おじいちゃん、可愛い」というのだそうです。

何も知らない、言葉すら喋れない赤ちゃんを誰もが「可愛い」というのなら、同じようにどんどん物を忘れていってしまう老人もまた「可愛い」存在なのです。

神様に近い存在は、赤ちゃんと老人だと言われたりします。

そして

赤ちゃんと老人はどちらも「人間」に一番近い存在なのでしょう。


ブンジュ村では「失敗」したりすると周りの人は

「可愛い」

とか

「人間らしい」

というのだそうです。


何も出来ずに生まれていた赤ちゃんは、全くの「人間らしさ」を持っていると言えるのです、そして老人も。


この本は前半と後半、違う人が語っています。

前半はブンジュ村にいった画家「ショーゲン」さんの実話、後半はそれを聞いた小説家(本書の著者)の語りです。

ある日ショーゲンさんは1枚の絵に衝撃を覚えて、全てを投げ出してアフリカへと旅立ちます。

そこで「ペンキ画家」としての修行をします。

その間にそこの村(ブンジュ村)で聞いたり、教わっだりしたことが書かれています。

実はブンジュ村には古来の日本の伝統があったのです。

何故なら

120年くらい前に村のシャーマンが日本人の霊と降霊により、いろいろな事を教わっていたからです。

そして今もその教えを大切に守っていたのです。

その「日本人の霊」は、一万五千年の長きに渡って争いがなかった時代の日本人、平和に暮らしていた縄文人だったようです。

その縄文人の霊に教わった言葉が

「可愛いね」「人間らしいね」の言葉だったのです。

他にも

「ショーゲンはいつも無駄を省いて効率よく生きようとしているけれど、無駄とかしょうもないこと(ショウゲンさんは関西人)のなかに幸せはあるのにもったいないなぁ…人はいかに無駄な時間を楽しむかっていうテーマで生きているんだよ、この無駄を楽しむ精神こそが、心にゆとりをもたらしている」(5〜8ページ)

とか

「いつか紙幣は紙切れ同然となり価値がなくなる時がくる。そんな時代を生きれるのは愛を持って日常生活を過ごして来たひとだけ」

話はそれますが、ショーゲンさんも「その時」を2025年7月と言っています。

また

「ブンジュ村の朝の挨拶は『今日は誰のために生きる?』…今日はどんないいことがあった、今日も自分の人生をいきられた、と聞きます」(45ページ)

誰のために生きる、とは誰でもない自分のために生きることなのです。


こんな事を言うと

「おい、おい自分のためだけに生きるって自己中じゃないか」

と思いますが、それはそうゆう文化(日本)の中で暮らしているからそう思うのだと思います。


ある教団の解散命令が裁判にかかっています。

その教団の教えはあきらに悪というのではなく、むしろ良いことも言っているから、それなりの信者もいるのだと思います。

ただ、物事は全体的なバランスが必要で、極端な「喜捨(献金)」はどう考えてもおかしいのです。

だからある事だけを切り取って判断すると間違うことがあります。


私たちが「自分のためにだけ生きる」と言うと自分のことしかやらない、考えないように思いがちですが、ブンジュ村の人は人の為になることも自分のためになる、と考えているようです。

ただし

先ずは自分をたっぷりと愛してあげてから、でないと駄目なのです。

自分をたっぷりと愛して、「自分のファンになり(本文より)」自分の器が愛で満たされて、愛が溢れるほどになったら、その溢れた愛を他人に分けるようにするのが良いようです。


「(今の)日本人は失敗しないように大人は頑張っている。でもこの村は違います。大人が失敗を見せることで子供は出来ないことを恥ずかしいことだじゃないとわかり、失敗を恐れない子供になると考えるのです。」


今、失敗を恐れる大人たちになったのは、自分たちの両親や周りの人が失敗を恐れ、見せないようにしてきたからです。

喧嘩をしたら駄目、と喧嘩が悪いことのように言うだけで、喧嘩した後の仲直りの仕方を教えて来なかったのです(自分たちも隠れて喧嘩してきているのに)


「生きて行くうえで一番大切なのは人間らしさ。歳を重ねれば完璧になっていくじゃないんだよ、人間らしくなっていくんだよ」(58ページ)


この本を読んでいて、何度も目頭が熱くなり、空を見上げました。

そうして心に刺さるのも、やはり自分も縄文人の遺伝子を受け継いているのだと思いました。


ブンジュ村の村長はショーゲンさんを通して、縄文人の言葉を広めて欲しいと言っています。

それはかつて世界でも類を見ないほど永らく平和に暮らして来た「縄文人の遺伝子をもった日本人」だからだと言っています。

ブンジュ村ではなく、失敗出来ない、タイパ、コスパのような効率能力のみを評価する社会に生まれてきたのには、偶然か意味があるのかわかりませんが、目の前にあるものだけでなく、今は隠れているものにも目を向けないといけない時が、そろそろやってきているようです。

2025年7月までにひとりでも多くの人に読んでもらいたい一冊です。


https://youtu.be/7Q2m79BtjPM?si=f8fEM66fzJ5KzIYY