三十三番土偶巡り 長野② | パーマン三号のブログ

パーマン三号のブログ

ブログの説明を入力します。




5:15
本日二日目、土偶巡り最終日。
気合を入れて朝風呂へ…。

6:30
ホテルのビュフェ朝食へ。
毎日こんな「宝石箱」だったら…

https://youtu.be/4M7y4NLZx10


8:30
本日1番目のミュージアムへ到着。

朝食をあれだけ食べたら、やはりその次は…

ここは「黒曜石体験ミュージアム」、「星くそ館」。


星のようにキラキラと輝く美しい黒耀石。

鷹山にある黒耀石の原産地を、いつの頃からか、人々は星糞峠と呼ぶようになりました。

割れ口が鋭く加工しやすい黒耀石は、およそ3万年もの間、石器の材料として利用されてきました。

産地の限られる責重な黒耀石をもとめて、この鷹山の地にはたくさんの人々が集まり、星糞峠からそのふもとの一帯には、黒耀石の流通に関係した、大きな遺跡がいくつも残されています。

全国各地へと、遠い道のりを持ち運ばれていった黒耀石。この地は、まさに、その「ふるさと」なのです。


くそみたいにたくさん黒曜石がある、ということかな?

伊勢屋、稲荷に犬の糞♫

ではなく

イシの糞♫

ここで頂ける御朱印は

ありません、そもそも三十三番には入っていません。

くそ!

その日はファミリーがたくさん来てました。

黒曜石で矢じりを作る体験コーナーが大人気、自分は時間がないので黒曜石のお土産を購入しました。



9:01
さて最終御朱印を頂ける「ゲロマン館(原始古代ロマン体験館)」へやってきました。

ここは廃校の体育館をリフォームしてつくられていて、その近くに本当の廃校の校舎があって、どちらも「廃校」に見えるためここでもウロウロしてしいました。




ここでの御朱印は2つ

26番.明神原の土偶
27番.中道の香炉形土器

また土器土偶制作体験コーナーもありました。

最初に書いた「ドレイ」はここで購入しました。

この「ドレイ」は学芸員が作ったものを販売しているそうで、さすがに本物の特徴をよくつかんでいました。

二日目のメインの予定はここまで、三十三番土偶札所巡りの旅は終わりました。


ここで帰っても良いのだけれど、まだ午前中なので少し足を伸ばしてかねてより参拝したかった神社へ行きました。

神社の名前は「皆神神社」。


八百万の神の神社のようでいいネーミングでチャーミングです。

しかしこここそ知る人ぞ知る「日本のピラミッド」

ここへ参拝することで、二日目のメインはこちらになってしまいました。




皆神神社については

『太古日本のピラミッド』酒井勝軍著



『皆神山オカルト学序説』長尾 晃著

を感想文として後ほどアップしますが、勝軍さんはあの「竹内文書」から日本にもピラミッドがあることを証明しょうとしましたが、そもそも竹内文書は天皇制と反する書物として発禁本となっていたので、当然この本も当時のひと目にふれることもありませんでした。

また晃さんの方は、書名のとおり出口王仁三郎氏の予言書から、皆神山の重要性を解いています。

一方は科学?的に、もう一人は宗教的に、皆神山の重要性を解いたのです。

そしてよく言われるように、当時の日本はかなりオカルト的にまつりごとを行っていたようで、この出口王仁三郎氏の予言どおりに、大本営を、そして帝都を皆神山に作る計画をします。

しかし皆神山の地盤が脆く大本営設営の計画は頓挫し、終戦を迎えることになりました。

皆神神社は皆神山の頂上にあり、車で一番上までいけます。

本殿で参拝したあと、裏に回ると御神木がそびえていました。

更にその奥には「天地カゴメ之宮」があり、神宮一二三の予言の書かれた石碑もありました。



そしてその石碑には「日ユ同祖論」の元になった「カゴメ紋」も確かにあります。

思わず「おおっ」と声が漏れました。

それだけではありません、更に奥にはもう一つ鳥居があり、ここの頂上へと参道が続いています。

扁額には珍しい「富士山三国第一」と毫揮されています。



近くに「コノハナサクラ」が植えられていました。



参道を進みます。

…と後ろからひとりの女性が同じく参拝をしに来ました。

先に参拝をしてもらうために、本殿に着いたら直ぐに裏の方へ回りました。

そこで思い出しました。

この本殿の裏には富士山へ続いていると言われている穴があることを。

その穴はしっかりと四隅に柱を立てて結界がつくられ祀られていました。



本家富士山にも「人穴神社」には人が入れるほどの穴が掘られ甲州街道や山梨県郡内地方に通じる郡内道(人穴道)があったとされている。

先程の女性は裏には回って来なかったようで、自分が表に回ったときには既にいなくなっていました。

神宮一二三さんの声で

「裏には表がかくされていぞよ、しっかりみんしゃい」

と言ったかどうだか…聞こえはしませんでしたが。

御朱印と御札を頂き車へと戻って来ました。

これで既に大満足なのですが、昨日ホテルの部屋で今日の再確認をしていたところ、偶然面白そうな場所を発見し、皆神神社からも近いので時間があれば回ることにしていました。

それが「松代象山地下壕」です。

12:53
松代象山地下壕へ到着。
実はここが凄い場所でした。

先程の出口王仁三郎氏の予言に基づいて皆神山に大本営を造るつもりが地盤が弱く駄目だったと書きましたが、ではいったい何処へ大本営を造ったのか?

それがここ「松代象山地下壕」だったのです。

造りかけた皆神山の大本営(地下壕)は倉庫として利用して、こちらともうひとつ、合計三つも舞鶴山に地下壕を造ったことがわかりました。


第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和十九年十一月十一日から翌二十年八月十五日の終戦の日まで、およそ九箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約八割が完成しました。

この建設には、当時の金額で一億円とも二億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。

なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります。

松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています。


とSNSに解説されています。

ここの資料館へ駐車すると中から

「ここの説明をするから」

と言ってくれました。

三つの地下壕(イロハ)のこと、徴用工のことなど1時間近く解説をしてもらいました。

自分が

「皆神山へ大本営を作ろうとしたのは出口王仁三郎氏の予言なんですよね」

と言うと

「何の証拠もない」

と激しい口調で言われました。

やはり学者さんなのだなぁ、と感じました。

とてもためになる、そして過去の日本が相当自信過剰で朝鮮や他の近隣諸国に横暴な態度をとっていたのがわかりました。

その後は実際に地下壕の中へとはいり見学しました。




かなりの大きさなのにこれを手掘りで一年もかからずに造るなんて、相当こき使ったにちがいありません(主に朝鮮人を)

調べると、実はここより先に八王子も大本営造営の候補にあがっていたらしちのですが、東京に近いためにこちらになったとありました。

やはり出口王仁三郎説は諸説に入ってしまうのかもしれません。

しかし、八王子には今でも武蔵野御陵があり、皆神山同様、神聖な土地だったのでしょう。


更に調べるとやはりこちらにも地下壕を作っていたようで、こちらは軍事倉庫として利用していたようです。

名前は「浅川地下壕」、高尾山の麓にあります。

現在では月1の予約者のみの見学が催されているようです。


確かに日本は唯一の被爆国ですが、被害国ではありません。

加害国でもあったのです。


「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」


という原爆死没者慰霊碑の碑文には、主語がありません。

この前の「ドクショ感想」に「日本語には主語がなく、主題がある」と書きましたが、過ちを繰り返さないのは、原爆を透過したアメリカが主語ではなく、原爆を二度と使用しない誓いを、全世界、人類に向けてのメッセージであり、それが主題なのです。

誰がイケない、とかの「主語」の問題ではなく「主題」として戦争を考えるべきだと思います。

主語を探すことで「犯人探し」をしてはいけない、と先人は「日本語」をとおして言っているのでしょう。


国家が戦争をはじめ、国民が死ぬ


どこの国の人も戦争で死にたくはないはずです。

個人間や国家間のいがみ合いを無くし戦争が地球から永遠に無くなることを希求します。




長々とお読み頂きありがとうございました。

合掌