佐藤悠子と山口美由紀の社員二人は店の二階の寮に住んでいた。
しかし、大学生の小林明美は学生寮に住んでいたので、仕事帰り夜送ったり昼大学に一緒に行ったりした。といっても彼女を大学に降ろして俺は直ぐに仕事場のパチンコ屋に向かうのだ。
二度ほどだが、同じように優子を家の近くまで送ったこともあった。
優子が彼氏?を連れてきた翌日も俺は普通に仕事帰りに英国茶館に顔を出した。
入るとすれ違うように優子が帰りかけていた。
「あら、もう終わり?」俺は挨拶代わりに優子に声をかけた。
その後「送ろうかぁ?」といつもと同じように自然に言葉がついて出た。
相変わらず優子はくったくのない満面の笑顔で『ウン!』と二つ返事。
カウンターの中にいたママに
「また、あとで来るからねェ。」というと
ママも安心し切ったように
「お願いねェ。」と当たり前に答える。
車の中で二人の話は弾んだ。しかし、降ろす間際になって俺は口を滑らせた。
「昨日の奴、彼氏?」
言葉が出た途端俺は後悔していた。
しかし、優子はそんなこと気にもせず言った。
「高校ン時の1つ年上の先輩で生徒会で一緒になって、1年くらい付き合ってたんですが、好きな時もあったような気もするけど、いま考えれば恋愛じゃなかったみたい。彼は私が短大に入ったので思い切り付き合えると思ってたみたい。でも昨日さよならしたんです。」
その言葉に俺は複雑な気持ちになった。混乱したのか言葉を返すことが出来なかった。
「納得してもらえなかったから、タカさんが新しい彼って言っちゃいました。」
多分話の流れで仕方なくダシに使われたのだろうと思った。
俺のUS11は既に彼女を降ろす場所に着いていた。
ホンの一瞬だが、戸惑いの時間が二人を動かなくした。
『ふう~っ』と優子は大きくため息をついて車から降りるような仕草をしてみせた。
しかし、すぐに向き直り俺を見た。気がついたとき俺と優子は見詰め合っていた。
優子の眼差しが愛苦しくてたまらない。金縛りにあったようにどうしても目を離すことができなかった。
俺はゆっくり優子の頬に左手を置いた。
優子は、頬づりするように一旦目を俺の手の方に向け、そしてまたゆっくり俺を見つめ直した。
極自然に二人の顔はゆっくり近づいていった。
いつの間にか唇が重なった。
しかし、間抜けなことに前歯がコツンと当り悠子は慌てて身を離すとドアにもたれ掛かるように笑い転げた。
歳は食っていても俺の経験不足がなせる業だった。
気を取り直した優子は笑顔で
「ありがとうございます。」と言うとドア開け元気よく車から降りた。
ドアを閉める前に「また明日ね。」と言う。
ドアを閉め窓越しに片手の手の平を左右に振ると、
まるでスキップでもするかのように家までの坂道を登っていった。
彼女が振り返ることはなかったが、俺は彼女の姿が見えなくなるまでじっと車の中で見送っていた。
『ふう~っ!』
しばらくじっとしてた俺の口からも大きなため息がもれた。
US11のエンジンを掛けると大きくアクセルを踏み込んで一気に加速し
マフラーの轟音を鳴り響かせながら俺は英国茶館に戻って行った。
英国茶館のなじみの席に戻っても俺の心は晴れなかった。
ママが時折心配して
「今日は元気ないわね。何かあった?」と声をかけてくれる。
その度に『ふう~っ』と大きくため息をつく。
ナンか今日は思いっきり走りたい気分にかられていた。
その日は祐二に誘われていて、
車で1時間くらい走った埠頭の広い敷地内で暴走族の集まりがあるから0時に来ないかと言われていた。
そのとき非番の山口美由紀が店に入ってきた。どうもデートの帰りらしいがそれにしては早すぎる。美由紀は俺を見つけるなり俺の横に座った。
『ふう~っ』何故かこいつも大きくため息をついた。
「何で男って浮気するんだろうねェ~っ!」
まるで独り言のように美由紀は言った。
「ねェ。タカさん、どうして男って浮気するの?」
突然マジになって俺の方を向いて言った。
「浮気する度に許してくれっとか言うんだけど、もう信じられないわ!」
こいつは勘違い野郎なので、まさか自分の方が浮気相手だとは思っていないのだ。何人のも男に騙されながら、自分が騙されたとは思っていない。飽くまでも別れる時は自分が振ったほうなのだ。こういうのを学習能力がない典型なのだろうと思った。
「いまから、走りに行くんだけど、むしゃくしゃしてるんなら一緒に行かないかぁ?」
そのときの俺も普通ではなかった。
「え~っ!タカさんが走りに連れて行ってくれるなんて前代未聞!この店始まって以来じゃない。」
本当に俺が普通の女を連れて走りに行くなんてこれまでに一度もなかった。
「行くっ!行くっ!佐藤悠子だって一緒に行ったことはないでしょう!」
勘違いのこの子は悠子がライバルだと思い込んでいた。勿論この子が悠子に勝つことは一生ないだろう。
美由紀を連れて行くと知ったママが心配そうな顔をしたが、
ここでは俺は信頼されていたので仕方なく気をつけてねと見送ってくれた。
車に乗り込むと美由紀は既にハイになっていた。
何故この子を誘ったんだろうと後悔するのもを忘れるほど俺の気持ちはむしゃくしゃしていた。
今日会ったのが美由紀でなく明美でも、それがあの悠子だったとしても間違いなく誘ったろう。
その頃の暴走族の大きな集会は、俺たちにとってはフリーマーケットのように単なるイベントだった。しかし、企画する度にエスカレートしていき、集まる奴らも次第に増えていった。
観衆を含めると5000人以上が集まるのだから、一般市民だけでなくお巡りにとっても悩みの種で、警察は『暴走族取締強化月間』とか名を打って、いつもその情報を掴むのに躍起になっていた。
俺らが着いたとき幅50メートル前長1km近くもあるその埠頭は、群集でごった返していた。
イベントが始まるとこの1kmのコースの両脇を歓声が埋め尽くす。
俺はダートな山道を攻める方が好きだったが、たまに平地でのイベントにも参加していた。
埠頭でのメインイベントはゼロヨンだが、どこで盗んできたのか工事現場のカラーコーンでダートなコースも用意されていた。オフロードでなくてもジムカーナーみたいにドリフトで技を披露し合う。そのころは既に4WDが主流だったので、俺のRRは全く歯が立たない。
出るとしてもゼロヨンしかないのだが、ここに参加する奴でノーマルの車はない。
圧倒的にGTRかFC3Sが上位を占める。
中でも祐二のGTRはダントツだった。
腕もそうだが、既に店を経営して稼いでいる彼は半端ではない金を車につぎ込んでいた。
当時の暴走族は飽くまでも走るのを前提としていた。
いまのように一般市民や警察に迷惑をかけて喜ぶのが目的ではない。
だから敢えて警察を挑発することなどしない。
できるだけばれないよう用心してイベントの準備を進めるのだ。
不良の集まりのように縄張りとかで喧嘩したり悪さして金を盗むとか、
例え極一部そうだったとしてもそれは走るための手段に他ならなかった。だから、このようなイベントでも喧嘩が始まることも当然あったし、お巡りが来て真剣逃げ廻ることもあった。と言っても大抵の場合捕まるのは決まってとろい群集の一部だった。
埠頭に着くと祐二たちがたむろしているとこに向かう。
車をゆっくり転がしながら、窓を下げて数人の顔見知りの男たちと挨拶を交わした。
一際人だかりが出来ている中心で裕二はGTRをいじっていた。
周りには人相の悪い裕二の舎弟たちがずらりと取り囲んでいる。
彼のグループは規模でも悪さでも際立っていた。
祐二のグループは総勢3000名を超えると噂されていたが、実際祐二の仲間は100名に満たない。しかし、その内の数十人がそれぞれに数十名の族を率いていたので、2~30のグループが祐二の傘下に入っていた。末端にするとそれくらいの数字になる。
祐二はこの地域では伝説の男とされていたが、その数十の族たちが頻繁にあっちこっちで悪さをするので、全部祐二のグループがやったとされていたに過ぎなかった。祐二にとってはいい迷惑でしかなかったのだ。
こういう月に数回のイベントで祐二の仲間で参加しているのは精々50台くらい。
年末とか何かあれば全員に集合が掛かり集まることはあっても、祐二のグループであっても
自分の族を率いているのだから、普段はバラバラに参加している連中もいた。
俺は、いつも剥き出しの嫌悪感を放っている祐二の取り巻き連中とは一線を引いていた。
こんな奴らと一緒にいたら四六時中災いから開放されることはない。
彼らも俺が祐二の高校からの親友と言うだけで一目置いている振りをしていたが、気に入っている訳ではなかったろう。調子に乗って俺が何かしでかそうものなら、直ぐにアヤをつけられボコボコにされ兼ねなかった。
祐二は俺に気づくと笑顔で迎えてくれた。
「やっと来たか?ツーリングクラブのホープが、、、。」
俺のへたくそな走りは四輪じゃないということだった。
祐二がいつも使う挨拶だった。その言葉に型にはまったように廻りは大仰に笑ってみせる。
「今日は走るのか?」祐二はUS11の窓に肘をついたまま俺に言った。
「ちょっと、今日は走りたい気分なんだな。」
「ほう、事故起こす前に引退すんのかと思っていた。」
そういうなり、祐二は横に座っている美由紀に目をやる。
「どうしたんだぁ?タカさんが女連れてくんのって珍しいなぁ?」
祐二は『ため』だが、何故か高校のころから『さん』付けで俺のことを呼んでいた。
美由紀は手を振って祐二に愛嬌を振りまいていた。
誰が仕切っているのかわからないが、イベントの初めはいつしかパフォーマンスが自然に始まる。それぞれが自慢の車に乗って1kmのコースを両脇に陣取った観衆の前でスピンターンなどの技を披露するのだ。一台ごとに観衆の歓声が上がる。初めは四輪で継いで二輪が集団でウイリーなどを披露する。愛嬌で自転車でウイリーをする奴もいた。
美由紀は異常な雰囲気の中興奮を抑えられずにいた。勿論彼女を乗せたまま走るわけにはいかない。知り合いの女の子たちの中に置きざりにされると知っても、彼女は顔馴染みのように溶け込んではしゃぎ廻っていた。
2回ほどゼロヨンに挑戦してみたが、どうも調子が乗らない。
ゼロヨン記録と言っても誰かがストップウォッチで計るのだから数字は正確ではない。
結果は出ないのはいつのもことだったが、2回目走った時、ターボあたりのパイピングが外れて失速、そのままエンジンは吹かなくなってしまった。
俺はブレーキとか足回りとかエンジンはある程度扱えるが、コンピューターで制御されるようになって全くわからなくなっていた。特にターボやインタークーラー付きとなるととても手がつけられない。
まあ、馬力を上げているのでフルスロットルで加速したとき、その負荷に対して水道の蛇口の金具で止めてるだけのゴムのパイプが圧力に耐えかねて外れてしまうのだ。これまでもたまにあったが、基本的にやり直さなければ問題は解決しないだろうと思っていた。
俺が外れたゴムを取り付け終わったとき祐二が近づいてきた。
「相変わらず情けないなぁ。走り屋を気取っていながらこの様なんだからな。」
祐二の嫌味口調は直らない。
「タカさん、ああいう子を連れてくるときは走らないで観客の方に廻った方がいいんじゃないかぁ?」
祐二は珍しく真面目な顔をして言った。
俺は何のことかわからない顔をして祐二を見つめた。
「うちの連中が手に負えないことはタカさんも知ってるだろう。
ああいう子を見ると直ぐ手を出したがる奴がいるんでね。今日は俺がいるから大丈夫だが、、、。」
そのとき突然コースの方から『ドッカーン!』と大きな音がして俺たちは思わず身をかがめた。
誰かが運転を誤ってクラッシュしたらしい。
祐二は血相を変えて音の方に走り出した。俺も後から着いていく。
現場に着いた時、FC3Sが倉庫のコンクリートの壁に激突し、くの字に折れ曲がっていた。
車が観客側の方に突っ込んでなかっただけ運がよかった。
全国的には観衆に突っ込んで何人もの死人が出る事件も発生していた。
俺はそれを見てほっとしたが、祐二の緊張した顔は変わってなかった。多分祐二の仲間なのだろう。
次の瞬間『ボボボッ!』とエンジンから火が上がった。運転してた奴は気を失っているのか出てこない。いつ爆発するかもわからず恐怖で誰も動けなかった。
直ぐに祐二が駆け出して車に近寄ってドアを必死に開けよとした。
しかし、衝突のショックでどこかが噛んでいるのかドアはビクとも動かなかった。
すかさず「タカさん!バールか何か持ってきて!」
と窓やフロントガラスを腕で必死に叩きながら祐二は叫んだ。
『バール?そんな都合のいいものがあるわけない。』と思いながらあたりを慌てて物色した。
マフラーのパイプみたなのが転がっていた。誰のかわからないがこの際そんなことは言ってられない。俺はパイプを拾うと祐二のところに急いで持っていった。
祐二は俺からパイプをもぎ取るとそれでフロントガラスを叩き出した。
火は『ボーッ!』と鳴るたびに次第に大きくなっていった。
近くにいるだけで実際相当熱い。
二発目でフロントガラスは割れたがバラバラにはならず縦横無尽にヒビが入っただけで端がめくれ上がった。祐二はパイプを放り投げめくれたところを剥がそうと必死に持ち上げる。仕方なく俺も下から上にガラスを押し上げた。やっとのことでガラスは車から外れた。その瞬間祐二は運転席に頭から潜り込んだ。足だけ外に出してばたつかせている。
「タカさん!引っ張って!」祐二が再び叫んだ。
俺は思いっ切り祐二の足を引っ張った。祐二が出てきた後にその車のドライバーの上半身が見えた。朦朧と意識はあったが頭を強く打ったらしく血を流し呻いていた。
二人で転がるように引きづり出した後、所かまわず掴んだまま二人でその身体を車から遠ざけた。
次の瞬間『ボオオッ!』と一際大きい音とともに運転席は炎に包まれた。
何人かがどこからか消火器を探してきたのか慌しく炎を消しにかかる。
俺たちは顔を見合わせた後大きくため息をついた。
しかし、息をつく暇もなく次の瞬間、遠くからパトカーのサイレンの音が幾つも聞こえてきた。
俺たちはすぐさま立ち上がったが、俺は祐二に別れを告げる間もなく元いた場所に走り出した。
当然美由紀を探すためだ。会場は大混乱。右往左往にバラバラに逃げ回っている。
直ぐに美由紀と再会することが出来たが、美由紀は何事が起こったのかわからず、
いまだ興奮してはしゃいでいた。幸せな女だ。
俺の車は故障を直すため運良く埠頭の入り口側に停まっていた。
直ぐに乗り込むとエンジンを掛け急発進でパトカーの音の方に走り出した。
美由紀はきゃっきゃ言いながらこのスリルを楽しんでした。
こういう埠頭でのイベントは都心と違って警察に見つかりにくいが、見つかった時逃げ場がない。岸沿いにパトカーが数十台連なってこっちに向かって来るのが見える。周りには何十台も同じように逃げる奴が走っていた。
俺はかなり飛ばしてさっきのゼロヨンとは大違いに次々に抜き去り、初めの交差点まで出るとパトカーと逆の方向にハンドルを切った。車体がタイヤのきしみ音とともにコ-ナーを滑っていく。バックミラーで確認すると何台もこっちに向かってくる車が映っていた。その後方に埠頭に曲がるパトカーとこっちに向かうパトカーが見えた。
『チェッ』と俺は舌を打った。
次の大きなカーブを右に曲がった後、後方の車の姿が見えないうちに直ぐ右の狭い路地に入っていった。俺はスピードを落として車を走らせながらライトを消した。かなり暗いが仕方がない。その狭い道は小高い丘のほうに向かっていた。幾つも路地があるのでちょっと安心した。
やがて海が見える高台に出ると俺は車を止めた。
パトカーも含めこちらにやってくる車はいなかった。
あっちこっちでパトカーがカーチェイスを繰り返している様が見て取れる。
ほっと一息、俺はやっとタバコにありつけた。
祐二が逃げ切れたか気になったが、今のように携帯があるわけではないので確認できるはずもなかった。多分彼のことだから大丈夫だと納得させるしかなかった。
美由紀の興奮は収まっていなかった。
「楽しかったぁ」と余韻に浸っている。
道は丘の方にまだ続いていたが、どこに行くのかわからない。
下手したら元の大通りに戻ってしまうかもしれなかった。こんな暗がりで美由紀と二人っ切りでいたくはないが、仕方なくしばらく留まるしかなかった。俺はリクライニングを下げて寝そべってタバコを吹かし出した。
その行動が美由紀に勘違いさせたのか、彼女も座席を下ろし俺の胸元に顔を埋めてきた。
拒んでもよかったが、ここで騒がれたら益々不味い。
それ以上に彼女が何もしなければそのままにした方がいいと思った。
しばらくしても何も起こらないので、彼女は一度顔を上げて俺の顔を見つめたが、俺は変わらず黙ったままタバコを吹かしていた。美由紀は諦めたのか、また俺の胸に顔を置いた。
ヤケや他の動機で車を走らせるとろくなことはない。それ以上に何の関係もない美由紀を連れてきた自分に腹が立った。これも夕方の優子とのできごとのせいなのだろうか?頭の中を色んな思いが行きかう。
疲れのせいか頭がぼんやりしてきて、いつの間にか俺らはそのまま眠ってしまった。
『ビクッ』として俺は意識を取り戻した。ほんのちょっと居眠りをしたと思った。
いまだ俺の胸で眠っている美由紀の頭を押しのけ、イグニッションを入れると既に夜中の4時を廻っていた。
『フウ~ッ』と大きくためを息をつくと、俺はさらに美由紀の頭を隣の座席に押し戻し、
自分の背もたれを起こした。
美由紀は目を覚ましたが、寝ぼけているのかどこにいるのかわからないようだった。
既に眼下の騒ぎは収まっていた。夏の日の出は早くぼんやりと明るみかけている。
それでも俺は用心深く元来た道を戻る気にはなれなかった。見知らぬ道を先に進むことにした。道は丘を越えて向こう側の大通りに続いていた。止まらずそのまま進めばよかっただけだと思ったが後悔しても始まらなかった。
美由紀は英国茶館に着くまで眠りこけていた。車を駐車場の中に入れて、やっとのことで彼女をたたき起こしたが、部屋まで辿り着けるかわからない。仕方なく俺は降りて助手席のドアを開けると彼女を抱え起こした。美由紀は寝ぼけた状態が心地よいのか俺にもたれ掛かったまま自力で歩くのを放棄していた。勝手知ったる英国茶館の裏の階段を殆ど美由紀を抱きかかえたまま上がっていった。
彼女の部屋の前まで着くと俺は声をかけた。
「美由紀着いたぞっ。お~い、鍵は?」
美由紀は黙ってバックを俺の前に差し出した。
『クソッ』と思いながら、美由紀を胸にもたれかかせたままバックを開けて鍵を探る。
こういうときは中々出てこないものだ。やっとのことで鍵を探し当てたが、これまた束になっている。段々イライラしてきた。やっとのことで鍵をノブに突っ込んでドアを開ける。
再び美由紀に声を掛けた。直ぐに美由紀は笑いながら自力で立つと俺を見つめた。
多分目は覚めていたのだろう。俺のやり取りをぼーとしながら楽しんでいたようだった。
不機嫌な俺の顔を見つめながら、悪戯そうな笑いを浮かべて美由紀は言った。
「一緒に寝よう?」
俺は黙ったまま美由紀の顔を手の平で軽く掴むようにして部屋の中に押し込むとドアを閉めた。
ドア越しに彼女の軽い笑いが聞こえてきた。
俺は車に戻ると再びタバコに火をつけた。
『危ない、危ない。』俺はそう思いながら胸を撫で下ろした。
ある意味美由紀で運が良かったのだ。
これが明美や、まして悠子なら誘惑を避けることができたかどうか自信はなかった。
気分を晴らすための走りが、ますますストレスを感じさせていた。