HANAトリネガ両側乳癌&IgA腎症&卵巣癌闘病記

HANAトリネガ両側乳癌&IgA腎症&卵巣癌闘病記

・2010.06〜 
右乳癌の全摘手術、抗癌剤
・2014.11〜 
左乳癌の全摘手術、抗癌剤
・2020.01 BRCA1発覚
・2021.02〜 
IgA腎症、扁桃腺摘出手術、ステロイドパルス療法
・2022.03〜
卵巣癌手術、抗癌剤、維持療法

時々HSC娘の不登校について
のブログです。


 高校生活スタート

とにかく明るい高校に入学してもうすぐ1ヶ月になる。

今の所、無遅刻無欠席で通っている。


通学定期を買う時、6ヶ月分のお金を渡そうとしたら、そんなに通える自信がないから、1ヶ月分でいい、と娘は言うので、間を取って3ヶ月分購入した。


最初の1週間は、中学より楽!自分と感覚が似ている人が多い感じがする、と言いながら通っていた。

休み時間に携帯を使って良い学校なので、一人ぼっちになったとしても、携帯触ってれば良いから楽、だそう。


インスタを交換した、

クラスラインに入れた、

5人でお弁当を食べた、

友達と部活体験に行く約束をした、

友達と駅まで行ってドーナツ食べた、

友達と帰り道に無印で買い物した、

友達と携帯で好きな音楽を紹介しあった、

友達のお姉さんの彼氏の写真を見せて貰った、

クラスの席の前後左右の人と話せる、


などなど、最初の1週間は普通の学生生活を経験して、楽しそうに過ごした。

正直、誰とも話せなかった、と落ち込む娘を想像していたので、そんな事も一切なく驚いた。

とにかく明るい高校は、みんな親切で感じが良い!


しかし1ヶ月経った今は、毎日行きたくないと言いながら通っている。

体力的にもキツイと思うし、活動が盛んな部活を選んだため毎日部活。

毎日12時間は家の外にいる。

偏差値も自分より低い子が多いので、あの子達勉強ヤバイかも、と毎日驚いていたり。

のんびりする時間が無くなって、必死に喰らい付いている感じがする。

一年半弱の間、不登校で貯めたエネルギーが少しずつ奪われている様に見える。


 改めて中学について

JK娘は「中学ってなんだったんだ?」と中学への違和感を言葉にし始めている。

「出来なくて何度も同じ事をみんなでやらされて、怒られている子が悪いと思っていたけど、そうじゃなくて、中学のやり方が軍隊みたいで息が詰まっておかしかったんだ」

昭和世代の私から見ると、ラジオ体操などピシ〜っと揃っている中学だったので、今時の中学生って真面目なのね、先輩から引き継がれた伝統って素晴らしいわね、と思えていたのに、中身も昭和の教育だったんだなー、と今更認識。怒られないようにプレッシャーを感じながら生活していた事に、高校に入ってから気づいた様子です。


このJK生活が続いても、続かなくても大丈夫。

この先どうなっても、大丈夫。

中学で経験できなかった分、高校ではキラキラの学校生活を楽しめるといいね。


 そして私

高校受験に寄り添った一年だったので、卵巣癌の事、自分の命について深く考える隙もなく、貧血ながら流されるように過ぎました。

周りの癌経験者の方は、自分のやりたい事を全部やる、と決めてアグレッシブに方向転換し、旅行や推し活を楽しんでいる方もいて、羨ましい様な気持ちもします。

でも、私は生活を変えられなくて、それでも小さいけれど確かな幸せ(小確幸)を感じながら、前よりもマシな人間になって日々を過ごしています。


日中、家で一人きりになる時間ができて、あーーー久しぶりーーーと感動します。

一年半、娘が家にいたのでとても新鮮な気分。

その反面、お天気の良い暇な平日には、娘がドライブなどのお出かけに付き合ってくれていたので、私一人か、と寂しく思ったりもします。



これで不登校中学生の高校受験シリーズは終わります。

長々と私のモヤモヤを読んで頂いてありがとう。

高校受験する不登校中学生もご家族の方も、納得のいく選択ができますように。

おしまい。

義務教育9年間のうち、普通に通えたのは小5から中1の3年間。残り6年間は年間30日以上欠席、つまり不登校という学生生活だった。


 中学との関わり方

中学に通っていれば授業の中で将来を考え、高校について調べ、自発的に見学に行き、志望校を決めるようスケジュール管理される。

でも不登校の我が子にそういった指導は届かず、考える時間を学校から与えられる機会は皆無だった。志望校だけ聞かれる感じで、取り残されている不安は常に感じていた。でも現在地もよく見えていない不登校中学生に将来の事を突きつけても、苦しいだけかもしれないので、結果的に放置されていて良かったのかもしれない。


卒業アルバムの写真撮影も、受験の模擬面談も、体育祭、合唱祭、保護者会、定期テストすら、担任から声が掛かる事はなく、放置されていた。担任からの心ある働き掛け、声掛けが一切無い、実に事務的な一年だった。

プリント類は教室の机の中に配布されていたので、頻繁に回収しに行けばよかったのだが、受験関係の書類の提出に行くついでに回収するだけにした。週に一度回収に行ったところで、追いつけない情報はあるので、キリが無いと諦めた。


ママ友から教えて貰って私から学校に問い合わせて、参加したいものには参加させてもらう形で一年過ごした。プリントをスキャンして大事そうな情報だけラインで送ってくれるまめなママ友がいたおかげで、色々な機会を逃さずに過ごすことができた。本当に本当に有難い。

私ならあんなにサラッとできないな。恩着せがましくなってしまいそう。


色々な不登校の形があり、色々な学校との関わり方がある。親子とも心地よい状態にカスタマイズする事が大切。


 一人きりの卒業式

卒業式前日。

娘のクラスのあるママさんが、クラスみんなで担任宛に色紙を書いているからと、色紙に貼るメッセージシールをわざわざ家に届けに来てくれた。

娘の分を貼るスペースを空けておくから、と。

最後だけでもクラスメイトに混ぜて頂いて、私はありがたかった。娘は気まずそうだった。


卒業式当日。

校長室で一人きりの卒業式を選んだ娘。

決められた時刻に校長室に入ると、ズラリと学年の先生が並んでいてくださって、ビックリした。

副校長は「これより第○回卒業式を行います」と司会までしてくれる。

校長からは卒業証書を手渡され「受験の模擬面談を1月にしたけれど、君が不登校だと思わなかった、そう見えなかった」と言われた。

担任からは「とにかく明るい高校に入れると思って無かった」と2回言われた。

倍率が高いのに頑張ったね、という意味だと思うけれど、どうせ受からないと思われていたんだ、と改めて感じた。


一人の卒業式だと写真が無くて寂しいからと、娘の卒業式の時刻に合わせて娘の友達が制服を着て家から出て来てくれた。早咲きの桜の前で記念撮影。思えば中学入学式の日も一緒に写真を撮ったお友達だった。


京都の修学旅行にも行かなかった娘。

春休みに友達親子と一緒に京都旅行に行って、京都に引っ越した友達親子にも4年ぶりに再会して来た。


中学生活に悔いなし!!!

さらば義務教育!!!

不登校中学生の高校受験は手探りの日々でした。

内申がつかない不安から始まって、沢山の学校見学(中学生の担任からクラスの誰よりも行っていると言われました。20校位?)、併願取れる取れないと振り回された高校、志望校の下のコースに合格など、色々な出来事がありました。


そんな事も知らないの?と思われた方も、

そんな事があるんだ!と思われた方もいると思います。


 カウンセリング

娘は小学生の頃にお世話になっていた区のカウンセラーさんとの面談を、中3の5月に再開して今も続けています。

ありがたい事に9年前から同じ方が担当してくれています。

娘はカウンセラーさんのことを「私の事を一番わかってくれている!記憶力が凄い!友達の名前まで覚えてくれている」と言って通っています。


カウンセラーさんは、娘の行動や思いを言葉に変換してくれて解説して、気づきを与えてくれる存在です。

娘が「こうしたんだ」と言うと「それはこういう風に考えたからこうしたんだね」という感じ。

本人も、そういう事なんだ、と気付く様子がある。

不登校中は家族以外と話す機会も減るので、決められた日時に家から少し離れた場所に通って、人と話して帰って来るとても貴重な時間だった。


そしてカウンセラーさん自身も何らかの生きづらさを経験された方なのだろうと感じます。

カウンセラーさんと私が話す機会は少ないのですが、先日「娘ちゃんは進路や自分の事を真面目に悩んで、ちゃんと中学生らしく考えていますよ」と教えてくれました。


そういう事を他人から言って貰う機会も不登校になると無いので、私にとってもホッとできる存在です。特に受験に向けて不安定になりやすい時期にカウンセラーさんにお世話になれて、本当によかったです。


 受験は団体戦

上の子の時、中学の先生方がよく使っていた言葉、受験は団体戦。

推薦などで先に高校が決まった子も、最後の一人の進路が決まるまで、思いやりを持った態度でいようね、という意味が込められていると思うんだけど、正直ピンとこない言葉だった。


でも今回の不登校娘の高校受験はまさに団体戦だったような気がする。

小学校不登校を経験していたからこそ知っていた情報もあったし、不登校の知り合いが沢山いたおかげで教えて貰った事、塾の先生、カウンセラーの先生、ママ友からの情報など、全てが助けになりました。


もちろん娘が一番淡々と頑張りました。

2回目に受けたとにかく明るい高校で、下のコースながら合格を貰えた。

偏差値が高い併願もどき高校は、受験さえすれば合格が約束されている。

どちらを選ぶか迷っていた。


 頼りになるのは塾

塾長から受験合否確認の電話が入った。

とにかく明るい高校に合格したものの、下のコースだった事を話し、併願もどき高校とで迷っていると伝えた。


塾の見解は

「教育改革を行うと公表して、失敗した高校は今までに一校しかありません。

だからこの数年でとにかく明るい高校の偏差値や進学先もグッと上がるのは確実です。

もし下のコースが嫌なら、入学後に成績を上位に保って、2年生になるタイミングで上のコースに移動する制度を使う方法もあります」

なるほど。

冷静な意見がありがたかった。


 併願もどきvsとにかく明るい高校

併願もどき高校は、、、

併願優遇を取れる、取れないの一件もあったのであまり良い印象が無い。今時自習室もない学校だし、特に何に惹かれたわけでもない高校。通えるかわからない、可もなく不可もないけど家から近く、偏差値が少し高い私立高校。

テストさえ受ければ、合格が約束されている。


とにかく明るい高校は、、、

娘が雰囲気を一番気に入った高校。

土曜お休みなので、体力も温存できる。

何より生徒皆が人懐っこく、フレンドリーな学校。

家から下り方向なので、通勤ラッシュも関係ない。

偏差値や大学進学実績もこの数年で必ず上がってくる。

この学校に入っても不登校になったら、一番気に入った学校だから諦めもつくのではないか。私も娘も気持ちが傾き出した。


悩んで考えていた時に、夫が一言だけ言った。

「気になってるのは、偏差値だけなんだろ?」

その通り。それに尽きた。

偏差値もここ数年で上がっているのではないか。


とにかく明るい高校に進学する事に決めた。

入学手続きをし、塾と中学に連絡を入れた。

体の力がどっと抜けた。

1回目の受験で不合格だった、とにかく明るい高校。正直、中学不登校なのだから、受験をドタキャンする可能性だってある。

しかし娘は嫌だと言いながらも果敢に2回目のテストを受けに出掛けた。


 とにかく明るい高校受験2回目

2日目はテストの出題傾向が例年のスタイルに戻り、問題数も多かったそうだ。そして面接では、初回の和やかムードと違って、不登校の理由を聞かれ、さらに自己アピールして下さい、と時間が与えられたそうだ。

自己アピールって何?歌ったり踊ったり一芸披露でもするの?

娘は自分はこういう事が得意です、って話してきたのだそう。


2回目の試験も面接も初回より厳しいのは何故だろう?

併願優遇や推薦を大勢取る学校で、一般受験は少数派。何か人数調節的なカラクリがある気がしてしまった。

2回目の試験会場には初回と同じ受験生が結構いたそうだ。みんな不合格、一般受験は狭き門なのだ。後から聞いた話では、一般受験の倍率は5〜6倍だったそうだ。


翌日。合格発表サイトをPCで開いたら『合格』の文字。

ホッとしたのも束の間、下のコースでの合格だった。


 併願もどき高校どうする?

合格が約束されている併願もどき私立高校と、合格したとにかく明るい高校の下のコースでは、併願もどきの方が偏差値が高い。

だから受験前に、下のコースしか受からなかったら、併願もどき校を受験して入学する、と娘と決めていた。娘は偏差値に対してプライドがあった。


そしてこの併願もどき高校もスライド合格制度を採用していて、一番下のコースへの合格の約束を

して貰ったが、テストの点数次第では、上のコースに入れると言われていた。


考える時間を稼ぐために、とりあえずとにかく明るい高校の入学金を払って、併願もどき高校も受験して、どのコースになるか結果を確認してから、どちらの高校に行くか決めるという方法もある。


親子でとにかく明るい高校に通うイメージしか持っていなかったので、過去問対策も、面接練習もしていなかった。

併願もどき高校で、果たして通えるのか?と急に不安がよぎった。