寝る前に拝見した記事で、
胸が熱くなりまして、


出さないと眠れないみたいなので、
書く❗️


介護のこと、
高齢者の食事のこと
誤嚥性肺炎のこと。



それら、そして高齢者の方々への熱い想い。
胸が熱くなった。
なんでか?って
私も介護をする両親をみていたから。
そして私も、その一端を手伝っていたから。




まずは、私のこと。


私の母方の祖父(以下:じぃちゃん)
は、祖母のお墓がある広島県の自宅で
一人で元気に住んでいたのですが、



お墓に行く自転車でこけて大怪我をし、
お風呂でのぼせて倒れ、
頭を縫う大怪我をしたことから、



広島県の自宅はそのままで、
大阪に住むことになりました。
最初は叔父の家だったんですけどね、


食事を作るのって女性(奥さん)のことが多いでしょ。
叔父の家もそうでした。


じぃちゃんの様子を見ていると、
うちの両親(=じぃちゃんにとっては娘宅)
の家で暮らす方が良いんじゃないか?と
私の実家で暮らすことになります。


今から約、17年前くらい。
じぃちゃんが93歳で亡くなったのが10年前。
なので、7年くらいか。
じぃちゃんと楽しかったぁ〜☺️



基本的に元気だったです☺️

だけど、
誤嚥をするようになって。
食事の時に、飲食物が気道に入ってしまう。
だいたいはむせて咳き込む(気道の異物排出の為)

それはそれで見ていてつらかった。
顔を真っ赤にしてむせる。


嚥下(えんげ)体操とかね
してました。


誤嚥して肺に炎症が起きるのが、
誤嚥性肺炎。


入院です。


母と叔父(じぃちゃんの次男にあたる)
が交代で食事に付き添う中、
私も時々病院に行って
じぃちゃんがむせないか?
を見守る、をしてました。


朝、病院に行く母親を車で送ってたある日
母が、
『なぁ貴代ちゃん。会社が忙しい時期になるやん。
私もじぃちゃんの病院で抜けるし、
3ヶ月でいいから、仕事手伝ってくれへん?』と。



実家は、自営業の繊維のサンプルを作る会社で、
ボタンのサンプル帳仕事の時期、
うなるほど忙しくなるのです。
人手がいる。
そこに、母親がじぃちゃんの入院付き添いで
抜けると、
人の3倍働く母なので、会社が回らなくなり
かなり職場を抜けにくい状況になる。



祖母(以下:ばぁちゃん)
ばぁちゃんが亡くなった時、
34年前、
それはそれは実家の家業が忙しく、
母はなかなかばぁちゃんの看病にいけなくて
それを、悔やんでいたことを
知っていたので、


その寂しい思いを
またさせちゃいけない、させたくない。


とね、思って
私は勤めていた会社をやめて
実家の家業で勤め始めます。
3ヶ月と言われたけど約10年勤めることになります.笑



誤嚥がなければ、
自分で食事もするし一人でトイレにも行くし
認知も全くなかったです。
話もよくしてました。
私、実家暮らしだったので😆



でもやっぱりね
85歳もこえて、90歳近くなって、
ある夜中、
トイレに行こうとしたじぃちゃんが
こけて床で倒れてました。


たまたま見つけたのが私です。
それ以来、
じぃちゃんのベッド足元に
センサー付きのマットを敷いて、
じぃちゃんが起きて足を置くと
母の枕元に置いてる機械が鳴ります。


母は、しれ〜っと2階に降りて、
じぃちゃんがことなく用を済ませて部屋に戻るかを
確認してからまた布団に戻る。


じぃちゃんは、
前立腺炎があったので、
トイレが近かった。

その時私は実家暮らしだったので、
なので、夜中に何度も起きる母を知ってます。


器量も度胸も愛嬌もパワーも兼ね備えた母なので
なんなく、やっていたけれど、


ほんとに尊敬した。



そして私も、じぃちゃんの体調の変化に伴い
一人で歩いて出かけるが難しくなってた時、
外の空気も吸わないと、ってことで、

仕事中に、仕事の一つとして、
私がじぃちゃんを車椅子で散歩にいく。
社員の子にも、
パートのおばちゃん達にも公認で、快諾もらって。



そんな運びにもなりました。



そしてここで気づく。


やっぱり、
車椅子に乗り降ろしする時、
出かける時や、介添や、その他全般の工夫やコツ
知識が必要だ。
と。


そして、探して
赤十字が開催する
介護補助、みたいな講習に行くのです。


体重をかけてもらうコツ
車椅子に乗せる時や出発時の注意点
ポータブルに移動する時のコツ、
等々、かなり勉強になりました。



私は、仕事として介護には携わったことはないです
孫だから、
家族だからできたタイプです。


食事を一緒にする。
じぃちゃんとしゃべる。
散歩に行く。
むせたらさする。


私は、じぃちゃんっ子だったので、
じぃちゃんがばぁちゃんの為に読む般若心経を


仕事が終わった夕方に、
よく、後ろで座って聞いてました。


それも、
私が家業の仕事に入ったから、
そして実家暮らしだったから、
できたことでした。


そうこうしていて、


家の中でも支えなく歩くのが難しくなった時、
歩行器を使ってのリハビリ:理学療法士さんや


じいちゃんの部屋からリビングまで、
立って押す歩行器💫
私たち、見守るだけ。できることはできる。



それからヘルパーさんにも来てもらったり、
を少し加えながら、


自宅介護っていうのですかね
そんな運びになります。


うちの母の尊敬するところは、
それでもやっぱり
自分を100%犠牲には、していない。
いや、なんてゆうか、
自分の楽しみもちゃんとできたこと。



ほんとに行かなくなったけど、
私がいる時は、ご飯の用意をして、
じぃちゃんの様子だけお願いね、と
百貨店に気分転換に行ったり
ちゃんと、それができてた人!


だから、
じぃちゃんに対する姿勢も、
暖かかった。ほんとーに。

血のつながりがあることもあるし、
それが、母の性格だったのもある。


そうこうしてるうちに、
理学療法士さんやヘルパーさんから
聞けるアドバイスや経験やらで、
私の介添知識や介添力も上がってきて



着替え手伝いはもちろんだけど、
便秘になるのよなー!
やっぱ水分が足りないのもあったと思う
ふつーに肛門マッサージもしてたし、
排泄介助もできた。



孫やからね。
じぃちゃんも問題なくさせてくれたので。



食事や嚥下については、


とろみ材ってのがあって、
味噌汁にとろみをつけたり、


無事にご飯食べ終わったのに、
その後の薬を飲むお水で
死ぬほどむせたり、と😱


ツライというか、
見てて悲しくって。


なので、そのお水をとろみつけたり、と。
いろんな工夫を、見てました。
そして、私もできる範囲で
できることを手伝ってた。


入院した時には、
母と叔父、そして私も加わり、
じぃちゃんの食事を見守りに付き添うのです。
じぃちゃん、お金持ちだったから
個室。いつも個室(笑)



13年前、私35歳。
梅田の新地でアルバイトをしてた時、
お昼の会社が病院近くだったので、
終わってじぃちゃんの病院に行き、


食事を見守りながら、
自分で食べれるのでね。


私は合間合間で、
夜の出勤の準備をする😆

化粧道具とヘアメイクセット持参で(笑)
盛あたま?盛りhair?
流行りの初期なんかな?
盛り盛りしてたから😆


病室入る時と出てくるわたし、
別人よね!😆


私も母の血‼️
そんなこともできる性格だったので、
仕事帰りのアルバイトまでの時間
ちょうど夕飯時、
付き添えた。


だから、協力する父も含め、
母のその姿や工夫、
変わっていく介護の環境、
便利なものがでてきたり、


そんなことを間近で見ていて、
やってもいたので、


こちらの
tamaricaさんの記事から溢れる、
熱い想い、熱意、愛情、工夫
そして、知識。


組織でやるからこそのボーダーラインや、
逆に他職種で一丸となれること
有識者がたくさんそこにいることや
それらの記録。
なんかを読ませてもらって、



そんな熱く強い、溢れる愛情が、想いが、
すごく溢れていて
読んでて胸が熱くなりました。
じぃちゃんの事を思い出した。


そして、
こんなに素晴らしい方がいらっしゃるんだ!と。
知りました。



介護する側
される側

今現在なのか
そうでないのか。


仕事として他人へなのか
家族へ、なのか


今は、ご縁がなくても、
ご縁がでてくるテーマ
他人事ではないテーマだと思う。




熱い想いだけでなく、
知識としてものすごく勉強になった!



ほんとに読んでもらいたい。
知ってて、絶対損はないテーマ。


というか、
知らないと、
ちょっとマズいのでないか、と
私は思うテーマでもあります。


介護




tamaricaさんの記事はこちら。
私が最初に読んだのはこの
高齢者の食事〜シリーズでした。
だいじ!ほんっとに食事だいじ!


それと、胃瘻をしても
経口に移行できるのね?初めて知った。
それってすごい!!
しかも、ものすごい努力と記録。

知っているだけで、
それだけで、気持ちも行動も楽に介護に
携われるんじゃないかと。
思いました。



こちら①です。






それと、
高齢者さんだけではなく、
みんなに
私も最近またお水を飲み始めた。
飲むタイミングや量について、とてもためになった








そして、その介護を愛し、
介護施設のスーパー経営者💫
うらめぐみ社長


私も


介護支援者も


お客様も


ニコニコ笑顔の

エネルギー循環ができ




ひとりでも多く最期を笑ってすごせる

おじいさん、おばあさんが

全国にふえて



ひとりでも多く笑って支援できる

介護支援者が

全国に増えていって



老いも笑ってすごせる社会に

なるといいなとおもっています


〜ブログから転載〜



なかなか、そういえる人いないよ

大変大変、ってよく聞く。



だけど、そう想ってそう言って

やってる人がいる!

ここにいた!



しかも、会社3社の経営者!

コンサルタントも始めたそうで、



そりゃそーよね。

介護職は、私の周りで独立される方

いらっしゃる。

その時、ノウハウが教われるなら、



イバラの道をわざわざ、進んでいかなくて

いいんだもん。



想いが形にしやすい。

経営がしんどくなると、

想いを形にしにくくなる。




うらめぐみ社長❤️の言葉。想い。

パワフルだな。

そして

暖かい☺️





全国へ

私のエネルギーが届きますようにウインク


〜うらめぐみ社長ブログより〜





ふぅ。

私も私が感じた想いをいま、出せたので

無事に眠れそうです☺️




今日も一日、

笑えても笑えなくても❗️




幸せだぁぁぁぁ‼️

と、叫べる一日を❤️

あたしもだよ❣️😊✌️




貴代でした💫