聖武天皇の遷都跡を探る・その3〔紫香楽宮〕 | 京都の春夏秋冬とプラスα

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奈良時代中頃、焼き物とお茶の里で知られる信楽(しがらき)の地に、742年(天平14)~745年(天平17)の一時期、離宮と都が置かれた。

今から1275年ほど前の造営で現在でも発掘調査が進められ、その跡は国の史跡に指定されている。所在地は新名神高速道路の信楽ICの近くにあり、当日はマイカーを使って探訪した。

▽ 関連ブログ:その1〔恭仁宮跡〕https://ameblo.jp/taka-hannari/day-20180205.html
                  その2〔難波宮跡https://ameblo.jp/taka-hannari/day-20180222.html


紫香楽宮の所在地と範囲
紫香楽宮は、新名神高速道路信楽(しがらき)インターチェンジ周辺の東西1.8㎞南北3㎞の範囲にあったと推定されている。

主な遺跡は、高速道路を挟んだ北半分の宮町地区宮殿跡が、南半分には内裏野(だいりの)地区での寺院跡に大別される。

*甲賀市教育委員会の編集・発行による「東山遺跡第2次発掘調査」資料より引用し、一部加工。

 

□ 紫香楽宮の発掘調査
所在については『続日本記』などの資料に記録され、江戸時代からも研究が進められてきた。本格的な発掘調査は今から35年ほど前から始まり、これまでに5地区・8ヶ所の関連遺跡の発掘調査が行われている。

*甲賀市教育委員会の編集・発行による「東山遺跡第2次発掘調査」資料より引用し、一部加工。


□ 宮町地区での宮殿跡  所在地:甲賀市信楽町宮町
盆地にあり跡地は都度埋め戻され、現況は水田及び集会所となっている。

昭和58年(1983)からの発掘調査により、紫香楽宮の中枢施設と推定される宮殿や朝堂院跡などが良好に残っていた模様。

朝堂院跡のあたりには宮町会館があり、その外壁には遺跡説明看板が掲げられている。

□ 内裏野地区での寺院跡  所在地:甲賀市信楽町黄瀬と牧
丘陵上にあり、昭和38年(1963)から環境整備が行われ公園化されている。近年まで宮跡がここにあったと考えられ、大正15年(1926)に国の史跡に指定された。

その後の調査・研究で聖武天皇によって創建された「甲賀寺跡」と推定されている。遺跡内の所々には寺院跡の礎石が残り、当時の面影が偲ばれる。

□ 紫香楽宮の造営と奈良の大仏
紫香楽宮は当初、740年(天平12)に遷都された恭仁京(くにきょう)の離宮[天皇が保養等のために一時的に滞在する宮殿的施設]としてスタート。恭仁から甲賀郡紫香楽村に通じる道・恭仁東北道の開通を機に、聖武天皇はこの離宮へたびたび出かけ、その行幸日数は通算で985日との記録も残されている。

その後、都は恭仁京から難波宮に遷るが、その間も紫香楽宮の建設は引き続き進められ、745年(天平17)1月には紫香楽宮は難波宮に替わって「新京」と呼ばれるようになった。

しかし、地震や火事が相次ぎ人心の不安がつのり、その年の5月には早くも奈良(平城京)へと戻った。この遷都に伴い、743年(天平15)の聖武天皇(みことのり)で進められていた紫香楽宮での大仏造立の建設は中止された。後に、この大仏の造立は東大寺に移り、馴染み奈良の大仏として今に至っている。