京都市内にある歴史的な多宝塔をピックアップ | 京都の春夏秋冬とプラスα

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伊藤若冲ゆかりの寺・石峰寺を訪れた際に、その界わいにある宝塔寺に立ち寄った。寺の名前の中に塔に係わる語句があり、その視点から境内を歩くと本堂の南側に多宝塔を見つけた。

この多宝塔の前に立つと「室町時代創建、行基葺、重要文化財」の表示がある。寺の伽藍の中に多宝塔を目にすることは珍しいが、何か独特の美しさと力強さを感じた。

この印象に駆られ筆者の手持ち画像ファイルの中から他の多宝塔をチェックし、江戸時代以前に建立された近衛天皇陵・常寂光寺・善峯寺・清凉寺多宝塔をピックアップした。

多宝塔に祀られる仏と形・姿
寺にある塔として五重塔の他に三重塔と多宝塔がある。多宝塔は釈迦と多宝如来の二仏を祀る二層の塔で、隅棟(すみむね)が屋根中央に集まる「宝形造」(「方形造」とも書く)の屋根を持つ。屋根の上には相輪を立て四隅に鎖をかけるのが特長の一つ。

多宝塔は日本では平安時代の前期から造られており、現存する最古のものは鎌倉時代建立の石山寺(滋賀県大津市)の多宝塔

*多宝塔のイラスト図は、京都市消防局発行の冊子「京都の文化財」より引用。

□ 宝塔寺   所在地:伏見区宝塔寺町32
この寺にある多宝塔は室町時代の応仁の乱(1467~77年)の兵火を逃れ、少なくとも1438年(永亨10)以前の建立とされる。京都市内に現存する多宝塔の中で最古のもので国の重要文化財に指定されている〔昭和13年(1938)に修復〕。

初層と二層のバランスによる優美さに加え、他の多宝塔では見られない「行基葺」と呼ばれる特異な屋根形式が独特の外観を見せている。「行基葺」とは、片方の端が細くなった丸瓦を積み重ね、重なった部分の瓦の厚みが表面に出る屋根の葺き方。

□ 近江天皇・安楽寿院南陵  所在地:伏見区竹田浄菩提院町
ここでの多宝塔は近江天皇の墓所としての役割を担う。桃山時代に建立されるも、1596年(慶長元年)の伏見の大地震で倒壊。1606年(慶長11年)に豊臣秀頼により再建。

近江天皇は平安時代後期の第76代天皇[在位:1141~55年・享年17歳]。

□ 常寂光寺   所在地:右京区嵯峨小倉山
多宝塔江戸時代初期の1620年(元和6)の建立〔寺自体とほぼ同時期〕で重要文化財。当時の京都町衆をスポンサーとする寄進により創建。江戸時代初期の霊元天皇の宸筆(しんぴつ)の扁額[並尊閣]が掲げられている。百人一首で有名な小倉山の中腹にあり、遠くは比叡山も眺望出来る。

□ 善峯寺  所在地:西京区大原野小塩町1372
寺自体は平安時代中期の開創も、多宝塔は江戸時代初期の1621年(元和7)の建立で重要文化財。室町時代の応仁の乱の兵火で衰退するが、江戸時代の元禄年間(1688~1704年)に徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の寄進で再興された。西国三十三観音霊場の第20番札所

□ 清凉寺  所在地:右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
多宝塔は江戸時代中期の1703年(元禄16)の建立で京都府指定文化財。清凉寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれ、平安時代初期の貴族・源融がこの地に建てた山荘・堂宇に始まる。等身大の釈迦像を安置し、これが釈迦堂の名の由来とされる。

他に、本法寺・永観堂・神護寺・嵯峨法輪寺・大覚寺にも多宝塔がある。本法寺の多宝塔は江戸時代の建立であるが、他の四ヶ所の多宝塔は昭和の時代に入ってから建てられたもので歴史は新しい。


▽ 関連ブログ:京都市内にある五重塔はいくつ!?
       
http://ameblo.jp/taka-hannari/day-20111013.html