初めての正倉院展と悠久の時を刻む「正倉」を見る | 京都の春夏秋冬とプラスα

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物事の記憶の中でど忘れすることもなく常に瞬時に思い出せる言葉がある。その一つが小中学時代に習った校倉(あぜくら)造り正倉院で、何故かこの言葉だけは記憶の扉が絶えず空いている。28日に正倉院展を初めて観覧し、その足で正倉院を訪れ「正倉(しょうそう)」の外構えを見た。

なお、正倉院は元々は東大寺の正倉であったが、明治以降は国の管轄に移り現在では宮内庁で管理されている。

□ 一日当たりの入場者数が最も多い正倉院展〔10/24(土)~11/9〕
正倉院の宝物を展示する正倉院展は1946年(昭和21)に始まり、奈良国立博物館で開催も今年で67回目。東京国立博物館で開催された3回を含めると70回目になる。古くから行われてきた曝凉(ばくりょう:虫干し)の伝統にそって、毎年秋の宝庫開封に合わせて正倉院展が開催される。

連日多くの観覧者の行列ができ、正倉院展は一日当たりの入場者数が最も多い展覧会との一部報道もある。


正倉院に伝わる宝物は約9000件とされ、その中から今年も例年並みの63件(うち初出展は12件)の宝物が出展されている。中でも東大寺に伝来した「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」がクローズアップされている。この古代の弦楽器は17年ぶりの出展で、背面は象牙や緑色に染めた角などを組み合せて作った小花文を整然とちりばめた華やかなデザインが施されている。

約1250年の時空を超えた宝物を蘇らせる正倉院の正倉[国宝]
正倉院東大寺大仏殿の北側にあり、奈良国立博物館や大仏殿から徒歩でそれぞれ約30分、約5分程度の距離。奈良時代に建てられた正倉院は、大正時代以来約100年ぶりの大修理が昨年に完了し、同時に10月から正倉院・正倉の外構えの一般公開が再開されている。

奈良時代には、国・郡・大寺院などには「正倉」と呼ばれる倉庫が建てられ、穀物や種々の財物・道具類が納められた。厳密にはこの正倉置かれた区画が「正倉院」であるが、他に同様の正倉は長い歴史の中で消失し今日では正倉院は固有名詞として使われている。

正倉院の正倉は東を正面とし、間口約33m・奥行約9.4m・床下約2.7m・総高約14mの南北に長い建造物。床下には直径約60㎝の丸柱が巨大な本屋(ほんおく)を支えている。正倉は北から順に倉・中倉・南倉の三倉に仕切られ、北倉と南倉は名高い校倉造り中倉板倉(いたくら)造り。また各倉とも東側の中央に個々の入口が設けられており、内部はいずれも二階造り

北倉は主として光明皇后が献納した聖武天皇の遺愛品が、中倉・南倉はそれ以外の東大寺に関わる宝物が納められていた。

現在では、整理・点検・調査を終えた宝物は空調完備の鉄筋コンクリート製の東宝庫(昭和28年建築)と西宝庫(昭和37年)で保管されている。

▽ 約1250年以上も宝物はどのように守られたか?
①勅封制度に基づくみだりな開封の防止
倉庫の開封には勅許(ちょっきょ:天皇の許可)を必要とし、むやみやたらな開封が防がれてきた。
②正倉の構造と宝物の箱での保管
やや小高い場所で高床式の構造が湿気や虫害を防いだ。加えて、宝物は箱入りで外光や汚染外気を遮断。
③二度の戦火から逃れた
平安末期(1180年)の平重衡の奈良焼き打ちや戦国時代(1567年)の三好/松永合戦の戦火による焼失の難から逃れた。