とろりとした、極上のヘンテコ・ファンタジー

夜は短し歩けよ乙女/森見 登美彦
¥1,575
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文庫版が出たのも、もうずいぶん前の作品。
本屋大賞2位に選ばれていますね。

森見登美彦の作品を読んだのは、「太陽の塔」以来。
「太陽の塔」は、あまりにも主人公の若々しさが痛かった。
空想と現実が混濁した世界がお腹いっぱいで、読むのがしんどかったことを覚えています。
度数も香りもキツすぎる酒を飲まされた気分。

そのイメージが強すぎて、この作者の作品は敬遠していました。
先輩に薦められたことがきっかけで、再び手を伸ばしてみた次第。


舞台はすごく似ているけれど、
濁りを濾過すると、こんなにも飲みやすい酒に変わるとは。

酩酊状態にずっといるような、ふわふわとした感じを味わわせてくれる作品。
奥ゆかしくて、和服をまとった静かなファンタジー。


まず、登場人物たちがチャーミングすぎる。
みんな、ちょっと現実にいたら引いちゃうかも、でも、幻想的な存在として際だっている、
そんなキャラクター性を持っています。

ちょっと厭世的で捻くれてて、頭でっかちですぐに妄想を膨らませてしまって、そのせいでおかしな騒動を引き起こしたり巻き込まれたりする主人公の「先輩」。

普段何をしているか想像できない、地に足がついてない、そして、本当に地から離れてフワフワ飛んでしまったりする「樋口氏」。

好々爺の風情を醸し出しているけれど、幻の美酒を大量に抱え込んでいて、湯船に池まで備えた豪奢な乗り物を持っていて、人を陥れたり弄んだりしてニコニコ顔でいる「李白さん」。

他にも、やたら博覧強記で老成した言葉遣いの美少年とか、半年近く下着を替えていないパンツ総番長とか。

そして何より、
ちょっとズレてて、
天真爛漫で人なつっこい猫っぽくて、
あまりに素直すぎて人のいうことすぐに信じちゃうんで、ゆきずりのオジサンに乳を揉まれたり、
天然で、「先輩」に何度も町中でばったり会うのに、「奇遇ですね!」で済ませちゃう、
そんな「黒髪の乙女」がキュートすぎる!
(NOTかわいい、BUTキュート)

「先輩」と「黒髪の乙女」の二人の視点で物語が進んでいくわけですが、
語り部となる二人とも普通の人よりちょっと感性がズレてる。
しかも、それが同じ方向じゃなくて、お互い90°違った方向を向いているもんだから、どっちを読んでていても面白くて仕方ない。

「先輩」は、弁士みたいに滔々とストーリーを読み上げてくれます。
ちょっと斜にかまえて、やたら勿体ぶって、妄想たっぷりに。

「黒髪の乙女」は、感情たっぷりにお話を聞かせてくれます。
彼女のちょっとズレた感性で、感情の赴くままに、ぽかぽかした気持ちそのままに。


みんな、濃いけれどキツすぎて嫌いになっちゃう、っていうほどじゃない、ファンタジー性に溢れたキャラクターたちです。



キャラに加えて何より特徴的なのは、言葉あそび、古典の名言からの引用、シュールなセリフ回し、などなど、
作者の優れたエンターテインメントに対する感性が、ファンタジーの中に遺憾なく発揮されていること。


「・・・彼女がその夜にサア乳を揉めと言ってきたら、貴君はそれを拒めるか」
「拒みはしない、拒みはしないよ!しかし…」
「それ、見たことか。…彼女に謝れ。土下座して謝れ。そして
道ばたに転がるゴム鞠でも揉んで満足しておれ!


笑いのセンスがシュールすぎる。
笑いを堪えながら小説を読んだのは、本当に久しぶり。
カフェで読んでいたのですが、端から見たらかなり怪しい人間だったことは間違いない。


とにかく、頭空っぽにして楽しめるファンタジーです。
面白い。


あと、京都が舞台なので、現在京都在住の自分としては、なじみの多い場所が多いのも面白かったですね。
木屋町の「月面歩行」は、この間行って酔いつぶれたなぁ…


舞台にむいているんじゃないかな、と思ってたら、既に演じられていたのですね。
また、ファンタジーなのでそれほどどぎつい世界設定じゃないけれど、キャラクターが立っているからマンガにも向いているなー、と思ったら、やっぱりマンガ化されていますね。
みんな、考えることは同じか。


個人的には、万城目学の「鹿男あをによし」との比較が興味深かったです。
あちらは、「鴨川ホルモー」と比べて、設定を練り込んで青春の汗臭さ・若々しさを取り除いたせいで、自分としてはちょっと物足りない作品になってしまったと思っています。
でも、この作品は「太陽の塔」と比べて、痛々しい若さを取り除いたおかげで、ファンタジーとしての純度が上がり、読みやすく楽しめる作品になっています。

同年代、同じ京都大学出身で、日本的なファンタジー要素を織り込んだ作品を得意としている二人なのに、こんな違いが出てくるのは、面白いな、と思いました。
これは、その作者が作品を作る上で真骨頂となるモノは何か、ということと密接に関係しているのでしょうね。
世界を(180°と)45°ずらして眺めてみよう

乳と卵/川上 未映子
¥1,200
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川上
未映子のコケティッシュな雰囲気が好きなんです。
という、まあ、なんというか、なんともしょーもない理由から読んだ作品。

ある程度、ネットで探った感じから作者の特徴は把握していました。
一人、こういった喋り方と文章の書き方をする大阪の女性を存じ上げています。
だから、
読んでみて「ああ、こんな書き方する作家って本当にいるのだなぁ」と驚きました。


最初は…読みづらい。
とても読みづらい。
普通だったら文章を完成させるのに必要な論理構成が、しばしば無茶苦茶になってしまっているから。

…わたしに深夜、巻子の仕事が終わってから…(略・句点なし)…目的であったはずやのに、そこには最初から…
(略・句点なし)…様子であって、巻子は…「胸を膨らます」ということ、あるいは…の、その境目でいたく興奮だけをしてるようで、あちらでの…それとでは、結構な…感じたものやった。


すぐ読めるか、こんなん!
主客はどっちだ、なぜ句点が出てこない、その文節どこに繋がんの、なぜ無意味に敬語が混じる、あれ話し手変わってない?
その上、コテコテの(?)大阪弁(あえて関西弁でなく)が混じっているものだから、輪をかけて読みにくい。



が、
驚いたことに中盤以降はこれがすらすら頭の中を流れていくようになってしまう。
脳が作者の奇妙なことばの繋げ方に慣れてしまうのだ。

読んでみると解るが、この作者の文章は極めてしゃべり言葉に近い、という特徴がある。
普通、私たちが小説を読むときには、脳は「小説を読む」モードになっていると思われる。
「小説を読む」脳は、話の流れ方に厳しい。
だから、読みやすい小説は文章の論理構造が整っている。敢えて崩すことはあってもそれはその文章の意味を強調したいがためである。

しかし、この作品ではしゃべり言葉をそのまま写し取ったかのような文章が並ぶ。
読点でつながれているにも関わらず話の内容がいきなり飛躍したり、
明らかに前後を繋いでいない接続詞が現れたり、
全く同じ表現の文節が二度続いたりもする。

これは、普段そこかしこで繰り広げられる雑談の話し方にそっくりである。

つまりこの作品では、カバーを広げてさあ「小説を読む」ぞと意気込んだところで、「普通に喋る」脳を使うことを要求されてしまう。
このせいで、最初かなり脳みそが疲弊してしまう。
(その上、結構どぎつい表現が続くものだから、精神的にも疲れる)

でも、しばらく読んでいるとそういう疲れを意識しなくなる。
おそらく、脳が「普通に喋る」モードに切り替わるのだろう。
慣れとは恐ろしいものだ。
あたかも当然のように現れる大阪弁もモード・チェンジに拍車をかける。

これが、とても気持ちいい。
頭の中を、意味があるのか無いのかも定かでない文字の羅列が流れていく。
敢えて、それに目くじらを立てたりすることはない。
普段の雑談の感覚だ。
話があっちこっちに飛んだり戻ったり、ああとかうんとか間投詞も交えて話をしたりする。
しかし、確かに小説を読んでいる。
確かに文章の中には話の流れと風景描写が埋め込まれており、登場人物たちの心情の動きが描かれている。

聞いたり喋ったりしている感覚で、小説が読めてしまうのだ。
そうすると、描写がリアルになり過ぎる。
「小説の型を持っている」小説では、読者は登場人物のセリフや情景から心情を読み取り、自分の頭の中で想像も交えてストーリーを構築していく。
でも、この作品の描写はリアルに近すぎるために情報量が多い、というか処理しきれない。
そのため殆ど強制的に、自分で構築すべき情報が流し込まれてくる。
溢れかえる情報で構築された世界の中で、自分が泳ぎ回っているような感覚になる。

これが、なんだかクセになる。
正直、麻薬みたいだと思った。(やったことないですよ?)
自分では想像しえない、作者の世界の中に引きずり込まれてしまう。
トリップしてしまう。
そういう点で、なかなか珍しい作品に出会ったと思った。


この麻薬性を引き出しているものは、多分、他にもいくつか要因がある。
生々しさ。
緑子の性徴への恐怖、巻子の豊胸への執着など、扱っている素材がすでに生々しい。
特に、私、男ですから、慣れない過激な描写を目の当たりにしてるだけで、どろっとした何かに酔った気分にさせられてしまう。
この点、女性にはまたちょっと違った視点で見えているんでしょう。
言葉の表現自体も肉感的で生々しい。

作者の言葉の選び方も、独特な世界を作り上げるのに一役買っている。
すこしずらした表現や持って回った言い回しが、現実感を薄れさせる。
たまに現れる敬語もトリッキーな雰囲気を醸し出す。

ストーリーとしては、実はそんなに奇抜なものではないのだと思います。
文章全体を読んでいると、あまりにも現実感のない話である気がするけれど、
会話部分だけを眺めてみるとそこまで突飛な話でもない。
豊胸手術をしたい(女を取り戻したい?)母親と、そんな母親を自分の女性としての身体の成長と重ね合わせて、混乱する娘。そんな娘とどう接したらいいのか解らない母親。
まあ、私は男性視点なので、ちょっと解りにくいところもありますが。

女の、女らしく、どろどろとした奥底のなんやかんやを見せられただけで、私的には180°の反対から世界を見ているような感じ。
さらにその上、作者のずいぶんと斜めった世界観のおかげで、さらに45°ずれた場所から見ている感じ。これが90°になってないから、世界を正しく認識できなくなってしまいそうです。

という、ちょっと酔っぱらったような感じの感想になってしまいました。
他にも作品を読んでみたい、が読むには酔っぱらうのを覚悟しないといけないのでしょうね。

「乳と卵」、「あなたたちの恋愛は瀕死」の2本立てですが、作者の世界観はどちらも相変わらずですね。

作者の作り出す異世界をとても上手に体験させてくれる作品、と言えるでしょう。
ただ、好みがはっきりわかれそうな作品でもありますね。
水戸黄門的アニメとなるか?

神のみぞ知るセカイ 8 (少年サンデーコミックス)/若木 民喜
¥440
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個人的な理由で、このマンガには結構強い思いを持っています。

今巻のオムニバス的なストーリーの中で、一番特筆すべきはやっぱりお婆ちゃんの話でしょう。
日永梨枝子のお話は、「人生」あるいは「思い出」に軸を置いたもの、という点が珍しい。

重要なことは、桂馬は彼女の問題に対しては解決するための策を講じることも手を貸すこともしなかった、ということですね。

彼女は問題を抱えていたけれど、それを解決しようとはしなかった。
というよりも、解決出来るものでないと知っていたし、
解決しないことこそが、彼女のこれまでが最上のものだったという証と知っていた。

だから、今回は「エンディングは見えた!」のではなく、
「エンディングはそこにある」ということなんでしょう。

桂馬がヒロインとは別の視点から見いだして与えるものではなく、
元から彼女にあった答えを眺めに行った、ということなんでしょう。

ある意味で、今回のヒロインは桂馬だったのかも?
梨枝子の持っていたエンディングによって影響を受ける側だった訳ですから。

30前になると、身内の死別とかに絡む話は結構ぐっと来るテーマで、ふわぁっとした気分にさせてもらえました。



アニメ化決定ということで、喜ばしい限りでありますが、どういう形になるかはまだ未定。
深夜枠?OVA?もしかして、夕方枠だったりして?

いずれにせよ、このマンガは、いつも予定調和な結果が得られると言う点で、他とはちょっと違いますね。
アニメ化するとなると、水戸黄門的な、あるいはサザエさん的な特徴がより強くなるのではないでしょうか。

この作品には、読者を強く揺さぶるようなインパクトが無い。
ネタも古典的なものが多い。
主人公のキャラクターは奇抜だが、ヒロイン達の特徴もある意味教科書(ゲーム?)通り。
磨ききられた設定を踏襲している。
それゆえ、安心して読める。不安にならない。
しかし、それぞれの話で新しい発見があるので、飽きずに読み続けられる。

・・・水戸黄門よりサザエさんかな。
エンディングにはバリエーションがあるし。


ということで、うまく行けばうまく行くのでは・・・
あとは、エロゲやギャルゲーが中心トピックという根本的な問題がありますが。
これも"解決できない問題"ですね。これこそ強みなんだからw

そして、おそらくはこういう色々な強みと弱みを踏まえた上で作品を作っているだろう、ということがこの作者の凄いところであると思います。
帯ウラから推して測るべし、その苦難の歴史w
いくつもの挫折の中から、自分にできないことを知り、自分にしかできないことを見つけた、その結晶がこの作品なんでしょうね。


いずれにせよ、アニメ化おめでとうございます、ということで。