少し前に、「我が子がいない人生」というブログを書きましたが、自分の父とのことを今日ふと思い出して書いてみようと思いました。父は2021年に不慮の事故で他界してしまいまして、早1年以上が経過しようとしています。亡くなる前の数年間は、いろいろ病気が見つかり入院していることも多かったですが、最後は病気とは関係ない事故であっけなく逝ってしまいました。

 

 大腸がんで入院しているときに職場と病院が近かったこともあって、毎日のように見舞いに行っていました。昔は父と1対1で何かを話すということはありませんでしたが、見舞いに行くと父はあれやこれやと話をしてくれて、うんうんと聞いていました。父はどちらかというと厳しい寡黙な人でしたが、私が社会人になってからは一変していろいろと心配をしてくれているようでした。そんな厳しい父が優しくいろいろと話をしてくれて、父との距離が縮まったようで嬉しい気持ちでした。話の流れで何か子供の話になって、そのときに父に「ごめん、自分はお父さんに孫の顔を見せてあげられなかった」というようなことを言いました。父になったことがない自分は、父親の立場であればやはり息子の子(孫)の顔を見るということは、人生の中で楽しみ、喜びの1つなんじゃないかと思っていて、そのことをずっと申し訳なく思っていました。

 

 それまでニコニコと話をしていた父が、自分がその言葉を発した瞬間真顔になり真剣な顔で、「いいか、そんなことは全く気にするなよ」と言いました。自分としては意外な反応でした。あやふやにいいんだいいんだという感じではなく、とても真剣にその言葉を発したように聞こえました。そのあともいろいろ話してくれていましたが、「子供がいなくても、お前はお前の人生を全うすればいいんだ」と言ってくれたのを覚えています。今思うと、そのときの自分は本当に馬鹿でした。病院を出ながら、そうかそうか、そんなに気にしなくても良かったのか程度に思っていたのです。

 

 父が亡くなって1年以上経って、車の運転中に、その言葉が父の精一杯の優しさだったんだと気付いたのです。子供がもう望めないということが分かったときに父にはそのことを話しましたが、そのときは黙って聞いていました。やはり子供ができないということは相当な悲しみでそれを父は察してくれていたのだと思います。本当は孫の顔を見てみたかったに違いありません。それが親の実際でしょう。それを殺して、全く気にするなと言ってくれた父の優しさ。亡くなってからそんなことに気づく自分。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙が出ます。

 

 父が亡くなって、1年も経つと悲しみは薄れていきますが、独りでいるときに父のことをよく思い出します。記憶が蘇ってこんなことがあったなと、あのとき父はどういう気持ちだったんだろうと考えています。父は死んでしまったのに、悲しみはいつまでも消えることはなくて、自分の中では気持ちの整理がまだまだできていないことに気付かされます。

 

 死んだら人は終わりだと、天国も地獄もない、ただ無存在になるだけという人もいますが、それでは残された家族は救われません。父はどこかで自分を見守ってくれているように思えてなりません。父の子として生まれ、間違いなく父の何かを受け継いでいます。自分は父親になることはありませんが、父のように優しい人間になりたい、そして自分の人生を全うしたい、父の言葉を胸に刻み生きていきたい、そう思っています。

 

 

上島竜平さんの訃報が伝えられた。

大好きな芸人さんで、ショックが大きい。

志村けんさんや上島竜平さん、テレビからお茶の間に笑いと届けてくれた人達が旅立っていく。身近な家族が亡くなったりするのも悲しいものだけれど、全く関わりはなくても、その死はとても悲しく感じてしまう。

何かしら人には言えない苦しみをかかえていたのだろうと思う。ネットニュースを見ると、普段の人となりはとても静かで誰にでも優しい人だったと書いてある。そんな人が自ら命を絶たなkければならなかったことがとても悲しい。

でも上島さんにとって、その死が苦しみからの解放だったのだろうと思う。それほどに追い込まれていたのだろうと思う。自死は決して褒められたものではないけれど、上島さんは自分の人生にけじめをつけたかったんじゃないかと勝手に思う。生きてきた足跡を想い、自分が壊れていくよりも、死を選ぶことで自分の尊厳を守ったようにも思えてならない。

 

安らかに眠って欲しい。

 

 

 

こだまさんの本、「ここはおしまいの地」に引き続き、2冊目「夫のちんぽが入らない」を読み終えました。

 

やはり、あっという間に読み終えてしまいました。

自分はたぶん人に比べると文章を読むスピードが遅い方だと思うのですが、(理解力が弱く、漫画を読むのもとても遅い)、こだまさんの文章は難しくなく、すーっと読み進めることができるように感じます。イメージが絶えず頭の中に浮かんで、映画を見ているような感覚というんですかね。

 

タイトルのとおり、そういう話ももちろんありますが、こだまさんの経験されたことや、育ってきた環境、親兄弟のこと、いろんなことを正直に書かれていました。

 

こだまさんもお子さんがいらっしゃらないご夫婦ですが、なんとなく自分の境遇に似たものを感じて、そっと励ましてもらえたような気持ちになりました。

 

「我が子のいない人生」というタイトルで少し前ブログを書きましたが、自分も我が子の顔を見ることができなかった人間ですが、どこか自分の子ができるということが実のところよく分からないというずっと感覚がありました。それはやはり育った環境や自分の病気が原因ではないかと思います。まず、親の喧嘩が絶えないような環境で育ったので、家族の温もりというものがよく分からないということ。親と何かをして楽しかったという記憶があまりないこと。他の兄弟に比べてあまり可愛がられていなかったということ。経済的に苦しい環境で、小さい頃から自分一人がいなくなれば、少しでも家は楽になるんじゃないかと思って生きていたこと。

あとは、小さい頃から病気が多く、ひどいいじめにも遭ったので、きっと自分に子供ができたら弱い遺伝を引き継いで大変な思いをさせてしまう=子供のために子供なんてできない方がいい、という考えを潜在的に持っていたような気がします。

 

そして何より、子供を持つということが、素晴らしいことだと思えるような心の豊かさが自分にはなかったようにも思います。

 

でも、子供がいなくともこだまさんも夫さんも互いを支えあう姿が見えました。子供が全てではない、生まれてきた自分自身の命を大切に生きるということも、大切な生きる理由なんじゃないか、そう感じさせてくれました。

 

自分の人生は、他人に比べれば寂しく悲しい部分も多いかもしれない。だけど、自分の人生にもきっと何かできることがあるんじゃないか。

 

こだまさんの本はそういう勇気をくれます。