減量2カ月経過時

ダイエットを開始しまして、早くも2カ月が経過しました。

 

2022年6月18日の体重 103.0キロ

2022年7月18日の体重 101.3キロ

2022年8月18日の体重 101.0キロ

 

ということで、前月比-0.3キロという悲しい結果でした。

ちょうど、一ヵ月あたり1.0キロ減です。

 

夜にウォーキングをしているんですが、

2022年7月19日~8月18日の歩行距離合計は、60.12キロでした。

1日平均にすると2キロ程度。

 

できれば毎日歩きたいのですが、1日外仕事という日も多く、毎日歩くとなると結構難しい感じです。

 

体重は100キロ台と101キロ台を行き来しています。

 

 

2カ月経過しての体感

体重は開始以来、2キロしか減っていませんが、体感的にいろいろ感じることがあります。

 

お腹の張った感じが少なくなりました。

何日かに一回、朝イチ鏡を見たときに、お腹が凹んできたように見えることがあります。

1日に取る水の影響かもしれませんが、体がスッキリ細くなったような体感があります。見た目はほとんど変わっていないんですが。。。。

 

正直、食事管理が非常に難しく、運動してもその分食べているような気がします。

 

来月18日は100キロ台を記録していたい。

日々のウォーキング、続けて頑張っていきます。

 

 

 

 

 

 

太った経緯

今、私は40歳で、体重は101キロほどです。

はい、デブです。

 

20代は75~80キロぐらいだったと思いますが、30を超えてから年々増えていき、ついに今年100キロの大台を突破してしまいました。

100キロ超えるのは、ある意味才能だと誰かから聞きましたが、少し分かる気がします。というのは、99キロ台でほとんど止まっていたからです。ドカ食いしても、なぜか100キロは超えない。不思議な境界線でした。

 

そして、100キロを超えた途端、100キロを切らなくなり、むしろ加速して、増えていきました。そしてMAX体重は103キロ。

 

というわけで、いい加減にしようと思い、減量を決意しました。

 

 

ダイエット一ヵ月経過

さて、ダイエット開始しまして、1か月経過しました。

 

2022年6月18日の体重 103.0キロ

2022年7月18日の体重 101.3キロ

 

一ヵ月で、1.7キロ減。

嬉しいような、嬉しくないような微妙な数字です。

 

体重が重いと、まず走ることができません。

走れても、長時間走れないのです。

息が続かず、膝痛がすぐにきます。

 

というわけで、ウォーキングをすることにしました。

1か月の総歩行距離は、42.86キロでした。

この数字を、少しづつ増やしていこうと思っています。

 

 

101キロ台の体感

1.7キロ減ったのですが、体感的なところをお伝えしようと思います。

 

まず、体感的に体が軽くなりました。

 

特に坂道を歩いたときに、自分の体重の重さを実感するんですが、少し軽くなった感じがします。おそらく、足に筋肉がついてきたからじゃないかと思います。

 

肌がきれいになった、というのもあります。

私は幼少期から、アトピーを患っているんですが、体の主に胴体部分の肌がきれいになってきました。

 

汗の量が増えた、というのもあります。

今は真夏なので、汗をかくのは当然ですが、汗が噴き出してくる感じがすごいです。

運動するようになって、水を多く飲むようになり、代謝が上がっているようです。

 

 

 

100キロを切りたい

 

現在の目標は、まず100キロを切ることです。

また状況を報告したいと思います。

 

 

日本という平和な国において、元首相が殺害されるという事件が起こった。

亡くなったあとに、いろんなSNSで安倍さんの映像を見る機会が増えた。それだけ多くの人が悲しんでいる。

 

犯人は、母親が入信していた宗教団体に恨みを募らせ、事件に及んだとニュースで知る。事件が起こると、世間の関心は誰が元凶なのか、調べつくそうとする傾向が強いと思う。犯人が育った環境、親族、職場、知人に至るまで、徹底的だ。

 

宗教について、自分の母親もある宗教団体に入っている。特に多額の献金をしたり、それで家族が崩壊したというようなことはないが、母親は今でも時折、宗教行事に誘ってくることがある。以前、もうそう声掛けはしないで欲しいと、直接伝えたのだが、それでもやめる気配はない。

 

自分は信仰心を否定するつもりはないし、いろんなことが起こる社会において、何かしら心の拠り所があることはとてもいいことだと思っている。

ただ、今回の銃撃事件の犯人の母親や、しつこく勧誘してくる我が母に対して、思うことがある。

 

「家族を崩壊させたり、家族に嫌な思いをさせてまで信じる宗教に何の意味がある?」ということだ。

 

信じるものがあれば、それはその人自身の中にとどめておけばいい。一人ひとり考えること、思うことが違うように、ただ己が信じ、自分一人が宗教に向き合えばいいと思う。信じるものがある人は、それで救われて日々平穏に暮らすことを目指しているんだろうに、なぜ他人を巻き込む必要があるのだろうか。

 

人間関係に宗教は関係ないと、常日頃自分は思っている。

1人の人間の人格と別の人間の人格、その交わりが一番大切なことで、そこに宗教が割り込む余地はない。宗教がないと人とまともに関われないのであれば、それはもう宗教ではないのではないか?疑問に思えてならない。

 

家族環境が悪かった、生まれた家族が悪かった、それは確かに災難で悲しいことだけれど、人を殺していい理由にはならない。

 

家族の宗教問題で苦しんでいる人はとても多いのではないかと思う。

自分は大人になってからは、宗教に染まっている人とは距離を置くようにしている。

ただ否定や非難はしないようにしている。

宗教というものは、人を苦しめるものではないのだよと伝えたい気持ちもあるが、伝えることはない。

 

安倍さんを殺した犯人の母親は今頃何を思うだろうか。

信じた結果がなにをもたらしたか、冷静に考えてほしいと願う。

 

なにより安倍さんに安らかに休んでいただきたいと思う。

家族の悲しみが1日でも早く癒えるように願っている。