日本という平和な国において、元首相が殺害されるという事件が起こった。

亡くなったあとに、いろんなSNSで安倍さんの映像を見る機会が増えた。それだけ多くの人が悲しんでいる。

 

犯人は、母親が入信していた宗教団体に恨みを募らせ、事件に及んだとニュースで知る。事件が起こると、世間の関心は誰が元凶なのか、調べつくそうとする傾向が強いと思う。犯人が育った環境、親族、職場、知人に至るまで、徹底的だ。

 

宗教について、自分の母親もある宗教団体に入っている。特に多額の献金をしたり、それで家族が崩壊したというようなことはないが、母親は今でも時折、宗教行事に誘ってくることがある。以前、もうそう声掛けはしないで欲しいと、直接伝えたのだが、それでもやめる気配はない。

 

自分は信仰心を否定するつもりはないし、いろんなことが起こる社会において、何かしら心の拠り所があることはとてもいいことだと思っている。

ただ、今回の銃撃事件の犯人の母親や、しつこく勧誘してくる我が母に対して、思うことがある。

 

「家族を崩壊させたり、家族に嫌な思いをさせてまで信じる宗教に何の意味がある?」ということだ。

 

信じるものがあれば、それはその人自身の中にとどめておけばいい。一人ひとり考えること、思うことが違うように、ただ己が信じ、自分一人が宗教に向き合えばいいと思う。信じるものがある人は、それで救われて日々平穏に暮らすことを目指しているんだろうに、なぜ他人を巻き込む必要があるのだろうか。

 

人間関係に宗教は関係ないと、常日頃自分は思っている。

1人の人間の人格と別の人間の人格、その交わりが一番大切なことで、そこに宗教が割り込む余地はない。宗教がないと人とまともに関われないのであれば、それはもう宗教ではないのではないか?疑問に思えてならない。

 

家族環境が悪かった、生まれた家族が悪かった、それは確かに災難で悲しいことだけれど、人を殺していい理由にはならない。

 

家族の宗教問題で苦しんでいる人はとても多いのではないかと思う。

自分は大人になってからは、宗教に染まっている人とは距離を置くようにしている。

ただ否定や非難はしないようにしている。

宗教というものは、人を苦しめるものではないのだよと伝えたい気持ちもあるが、伝えることはない。

 

安倍さんを殺した犯人の母親は今頃何を思うだろうか。

信じた結果がなにをもたらしたか、冷静に考えてほしいと願う。

 

なにより安倍さんに安らかに休んでいただきたいと思う。

家族の悲しみが1日でも早く癒えるように願っている。