今日は、ペルシア語で頻繁に使われる「神」という言葉を伴った表現について触れてみたい。イラン人の言葉の端々には、日常的に「神」という言葉が出てくるし、日本から行くと、世の中をイラン人がどうみているかが、こうも日本とは違うのか、と気づくきっかけの一つである。

 

今回は、元東京外国語大学講師の下山伴子先生による、「触る神には福来たり、祈り好きなコミュニケーションの達人ーペルシア語のOh my Godあれこれ」(2013)というおもしろい記事を参考に、見ていきたい。

 

 

・そもそもペルシアと言って想像するのは、ペルシア絨毯、ペルシア猫、ペルシアのガラス、古代ペルシア帝国など、おとぎ話のような単語ばかり。一方で、イランと聞いてイメージするのは、イスラーム革命や世界有数の産油国や核問題など政治的なものばかり。イランがどのような国かイメージするのは難しく、メディアからの危なげな情報が独り歩きしている。

 

・イランは歴史が古く、地域的広がりがあり、文化的奥行きがあるため、何が「イラン的な」文化かは一言で語り切れない。例えば、唯一神を信仰し啓典を持つ世界最古の宗教ゾロアスター教が生まれ、パラダイスという語や思想、そうした美しい楽園を描いた絨毯が生まれた文化であり、また、イスラーム時代に下ると、タイル細工の美しいドーム建築やミニアチュール等の芸術、スンナ派と異なるシーア派独自の発展などが「イラン的」ともいえる。

 

・イラン高原を中心に東と西に広がるイラン世界は古来東西文明が交流。特にイスラーム時代以降は異民族支配を経験し、様々な文化潮流を柔軟に取り入れるも、常に独自のイラン的要素を保持し外来の文化をイラン化してきた。

 

・典型的なイラン人の性格を描写すれば、ユーモア大好き、頭の回転が速い、当意即妙に富む、詩人、もてなし好き、など温かくスパイスの効いた魅力が挙げられる。イラン人らしさを最も特徴づけているのは、ゾロアスターの時代から続く唯一の神への信仰であるが、それは教義にとらわれた堅苦しいものではなく、おおらかで純粋で楽しげなもの。

 

・イラン人にとって神は超越的唯一神でありながら、同時に友だちにように親しく身近な存在でもあり、日常でもごく自然に意識している。そうしたイラン人は日常会話でも当たり前のように「神」という単語を使う。それはユダヤ教徒がヘブル語の「神」という単語を畏怖して使わないようにしていたら正しい発音を忘れたという逸話と好対照である。イラン人は大人から子供まで、モスク等の聖なる場以外に、パーティでもパン屋の列でも、バスの中でも気軽に神に呼びかけながら過ごしており、最もよく耳にする言葉。このような、イラン人が神に対して持つ親しさの感覚はイラン文化のベースとしてとても重要な要素。

 

・日常会話に出てくる神という言葉の使われ方

【初級編】

ペルシア語で神はホダー。イスラーム化される以前から使われていた。アラビア語の神、アッラーよりも多く使われる。

ホダー・ハーフェズ=神が守ってくれますように・・・ごく普通の別れの挨拶

ホダー セポルダム=あとは神様に預けましたよ

・・・世代が上の人が使う、親身な別れの挨拶

エイ ホダー=神よ!・・・驚いたときや困ったときに思わず口をついて出る、

・・・英語のOh, my God以上によく耳にする

・・・渋滞にうんざりして

ホダーイェ ボゾルゲ マン=私の偉大な神様!・・・途方に暮れたとき、上を見上げて助けをもとめる

ホダー ラー ショクル=神に感謝・・・うれしいことに対して、つぶやく

べ オミデ ホダー=神が望むなら・・・何かを始めるとき、よい知らせを望んでいるときの祈り

ホダー コネ=神がそうしますように・・・何かを始めるとき、よい知らせを望んでいるとき祈り

サッカーの中継をききながら、贔屓のチームの勝利を祈るとき

ホダー・ナコネ=神がそうしませんように・・・悪い知らせを心配するとき

トラ― ホダー=神かけてお願い・・・子どもがお母さんに買ってほしいものをねだるとき、頼み事を断りにくくしてしまうフレーズ

バンデ・ホダー=直訳神の僕⇒可哀相に・・・アイスを買ってもらえず、可哀相な子どもをみて、通りがかりのおばあさんが子どもに加勢するとき。可哀相な神の僕にはよくしてあげるものですよ、という憐憫の意味が含まれる

べ ホダー=神にかけて

ホダー シャーヘド=神を証人として・・・人と情報交換するとき、自分が語る話の確かさを強調する

ホダーイー ナキャルデ=神がそうしませんように・・・自分の家族が亡くなったことを話すときの前置きとして

ホダー・ラフマテシュ コネ=故人に紙の憐れみがありますように・・・亡くなった人について言及した際に付け加える

ホダー べ マー ラフム コネ=神がこんな僕たちを憐れんでくれますように・・・世の中に不正や悪が横行すると天災など神の罰が下るとの信仰があり、そうした罰を受けませんようにと祈るとき

ホダー・ボゾルゲ=神は偉大だ⇒神が助けてくれるの意 

   

・このような表現はペルシア語に限らず、人知の及ばない事柄に対して神を意識し、祈りの言葉が口に出てくるのは人間の常。ペルシア語でこうした表現は英語などよりもっと身近に多彩なヴァリエーションで使われている。

 

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イラン専門家である下山先生は、イランを、単なる客観的調査主体としてだけでなく、イランの一住人として、暮らしを通して培われた草の根レベルのイランに関する知見に基づいて、研究して来られた方で、イラン人というものの本質を、言葉で巧み、かつ正確に描き出している。大変勉強させていただきました。ありがとうございます。

 

今日はここまで

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