藤原北家の主流と歴代天皇の関係を図にしてみた。
 似た名前も多く、間違いがあるかもしれないが。



 

 四角囲みが天皇で、数字は代数。神武天皇を初代とするが、初期天皇の実在性については、ここでは触れない。
 図中、道長の正妻・倫子だけが源姓で、他は藤原姓か、「姓を持たない」高貴な一族。
 側室の子や、即位しなかった親王、歴史上それほど有名でない人物など、思いっきり省略してみたが、それでもこれだけ煩雑になってしまった。
 なお、原則として図の左側が年長の子で、これを見ると藤原氏では必ずしも長男が一族の中心(「氏の長者」など)にはなっていないことがわかる。兼家や道長のように、娘を入内させ、次代の天皇の外戚になることが有力ということか。

 それはいいのだが、道長が娘を3人も入内させたため、彰子の子の後一条天皇と後朱雀天皇は、それぞれ叔母に当たる威子、嬉子と近親婚することになってしまった。
 NHK大河ドラマの主人公格(厳密には紫式部が主人公だが)とはいえ、迷惑なおっさんだ。

 もっとも、古代は日本に限らず、3親等ぐらいの近親婚は特に支配層では珍しくなく、古代エジプトでは兄弟姉妹間の婚姻も常態化していたとみられる。
 まあ、現在の倫理観で歴史上の人物を批評することは野暮だろうから、今日はこの辺で。