【政治と宗教<2>】
政治と宗教は、現代では、きちんとその役割を分担して
人々の幸福や社会のために奉仕する役割が与えられています。
宗教活動と、政治活動は、明確に分離されて
いなければなりません。
しかし、昔から、どうも、政治活動に宗教活動が
【利用】されてきたという歴史があります。
これは、宗教家の立場からは、
最も避けなければならないこと
と考えています。
**************************
宗教と政治が絡むと、
宗教の純粋性が失われます。
たとえば、あるキリスト教が国教と
なっている国のことを考えて見ますと・・・
その国の要職につくためには、
キリスト者であることが求められていますが
こころから、神様の愛に、感動し、救いを受け入れ
神様のために、人と、社会のために奉仕したい
というこころからではなく、
その重要ポスト、地位が欲しい事が、動機となって
洗礼を受ける・・・ということも起こりえるのです。
そうなると、その人の信仰は、純粋性が失われ
方向がおかしなことになってしまいます。
しかし、肩書きはクリスチャンということですから、
その人の考えが、
クリスチャンの考えを代表する・・・かのように
誤解されてしまうのです。
また、宗教を利用しようとする為政者は、
先に何か、自分の主義主張があって、
その【自分の主義主張】をサポートしてくれる
【聖書の言葉=神のことば】はないか・・・・
という思いで、聖書を読み始めたり・・・
聖書を引用するということも起こってきます。
【聖書のことば、愛の教え】・・・に自らを従わせ
律して生きるということが、本来の信仰者の姿勢なのですが
自分の都合のいいように、聖書を解釈、適用する
神様の教えに自らを律するのではなく、
自分の考えに、神様を従わせようとしているかのような・・・。
それは、傲慢以外なにものでもありません。
キリスト教の歴史には、暗黒の歴史(十字軍遠征の問題をはじめ
ヨーロッパ諸国による諸国への侵略支配の時代)があります。
それらは、すべて、宗教と政治が不適切な形で、絡んでしまった
ことによる、為政者、支配者による宗教統制のもとに行われた出来事
といえます。残念なことです。
*****************************
そのような不適切な信仰者が起こす出来事のゆえに、
純粋に、信仰し、神や人を愛し、仕えようとしている活動まで
批判されたり、妨げられたりすることは、残念でなりません。
このような原稿を草稿しているときにも、
イラク・バグダッドでイスラムシーア派、聖地で
巡礼者816人が死亡する事件が起きたことが
報道されています。
【また、宗教間での問題、争いが・・・】という声が
聴こえてきそうですが・・・
本来、宗教は、人と人のこころの平和を、つながりを
回復させるものであって、争いのためにあるものでは
ありません。
しかし、争いの震源地ともなっている現状・・・
この問題の本質は、宗教が政治に利用されている
というところから、発生しているものと
考えていただきたいと思います。
本質は、宗教の問題ではなく、政治戦争であり
経済戦争が隠れているということ・・・
宗教を隠れ蓑(みの)として
本来の問題がうまくぼかされている・・・
矛先が違ったところに向けられてしまっている
ということを知っていただきたいと思います。
****************************
イスラム教のおしえそのものは、たいへん平和を尊重し
また、イスラム教徒の人々も穏健な人々です・・・。
しかし、問題を起こす、クローズアップされてしまう人々は、
【過激派】【原理主義】といわれている人々で、
わたくしは、【純粋】にイスラム教を信仰している人々
とは思いたくありません。
どの宗教にも、また思想でも、過激派といわれる人々が
存在しており、その人たちは、為政者にとっては、
とても都合のいい人々となりえます。
特に、教育を十分受ける機会が与えられず、
客観的な情報も得られず、判断できないような環境や状況
にある国や人々は・・・。
*************************
どうか、賢明なみなさまには、ぜひとも、宗教については、
無知でいてもらいたくはなく、
また、一般的にいわれている情報だけで、判断されることなく、
だれか、思想家のことばでなく、
実際の聖書の教え、聖書には何が書かれてあるのか、
また、イスラムの経典などに触れていただいたり、
ご自分の目で見て、確かめて、判断する・・・という作業を
ぜひとも、していただきたいと願っております。
***************************