暑い日でした。朝9時から準備(音響・ピアノなど)、11時からリハーサル、
そして、午後1時30分予定通り開演となりました。
予定通り、歌とピアノ、そして、講演を行いました。
ご来場下さった皆様に、心からありがとう感謝です。
そして、講演ですが、約30分話し切りました。
内容は、以下の原稿のとおりです。
実際には,話の流れで、少し省いたり、付け加えたりしましたが、大きく変わってはいません。
この内容を、ずっと以前から、私は話をしたいと思っていました。
7月6日は長年の思いが叶えられた記念日にもなりました。
現在の世間の情勢では、不登校の生徒は通信制高校に進学という図式のようですが、
私の一押しは絶対に高卒認定試験です。通信制高校に籍を置きながらでも受験可能なので、受験しない選択はありえないと思うのですが・・・。
講演全文を載せますので、読んでいただけると幸いです。
講演 人生逆転下克上 高卒認定を目指そう
不登校からの人生逆転下克上、高卒認定を目指そう
講演を始めさせていただきます。
「高卒認定試験」ご存じの方もお見えでしょうが、この試験に合格することで、
文部科学省、つまり国が、高校卒業と同等以上の学力があると認めてくれる正式な国家資格、制度です。
試験は国語、数学など主要5教科で、選択科目を含め合計8ないし9科目です。
この試験に合格すれば、即時に早ければ16歳で高校を修了、胸を張って、大学受験等進学ができます。
本当に素晴らしい制度です。私は高卒認定で、すばやく高校修了を強く勧めております。
しかしながら、全国的に見ても、素晴らしい制度である高卒認定は受検者は横ばい、
三重県では年間200人程度しか受検していません。それに対して通信制の高校は年々生徒が増えています。
三重県では5200人ほどの生徒がいます。
不登校は通信制へ進学、3年以上かけて高校卒業という形が定着してきているようです。
現状はこういうことですが、本題に入ります。
2人の事例を話させていただきます。実体験です。
まずはA君です。当時、塾をしていた私が、中学2年から勉強を見ていた生徒です。
公立中学で、ごく普通の成績、5段階の3をとれるくらいで、英語は苦手で2に近い成績でした。彼が最初の大検挑戦者です。
彼は、高校は成績に見合った公立高校に入学しました。
ところが、高校入学後、1か月もたたないころ、わたしに相談にきました
これが、すべての高卒認定(大検)の始まりとなります。
「もう高校を辞めたい、みんなやる気がないし、授業中はうるさいし、遊びに来ているものばかり」
正直びっくりしました。
「ところで、やめてどうするんだ」
と尋ねると
「先生、大検を受けたいと思っている」
当時は高卒認定ではなく。大検という名称でした。
現在、高卒認定は、8月と11月の2回受験機会あり、高校に通っていても受験できる制度です。
しかし、当時の大検は、年に1回8月のみ、高校を辞めないと受験できない制度でした。
彼が大検を受けようと考えたのは、実は、彼が中学生の時から、大検については、私が話をしていたからです。
「過去の大検の問題を調べてみたら、それほど難しいことはない、高校1年生の基本中の基本レベル。しかも50点程度で合格できる。高校進学に迷ったら大検という選択肢もあるぞ」
わたしが、こんな話をしていたので、その気になったようです。
しかしながら、当然親は反対しました。それでも、A君の意志は強かったのです。
父親は、大検について、多くの人に相談し、いろいろと調べたようです。
「学校関係、その他、いろいろな人に聞いてみたが、大検は難しい、1教科でも合格したら大きなことだ、大検が受かるなら、
だれも高校に3年かけていかない。それでもというなら、来月の中間テストで、学年10番に入ったら、認めてやる」
こう言い放ちました。
彼の中学までの成績から考えれば、300人いる学年で、せいぜい入学時は200番くらいの実力で、中間試験で10番なんて
夢のまた夢です。10番なんてすごく高いハードルです。とても無理、高校を辞めさせたくない父親にすれば、
当然と言えるでしょう。
でも、何としても、A君は自分の意志を貫きたかったのでしょう。わずかな試験までの期間を必死に頑張りました。さあ、その結果はどうだったでしょうか。なんと、結果は10番どころか2番。
「なぜ1番になれなかった」?なんて
私はA君と笑いあいました。
約束ですから、しぶしぶ父親は認めました。
しかし、父親はA君と私に
「いいか、大検受けるのはいいが、合格できなかったら勘当するぞ、家を出て行け」
きついお言葉です。もちろん、父親は、私がそそのかしたと思い込んでいるので、私も呼んだのはわかっていました。
親としては、これくらい言いたい気持ちはわかります。
私自身、今は父親に何を言っても無駄、とにかく、結果、つまり合格させるしかないと決意しました。
さて、A君は大検まで3か月弱、とことん頑張って勉強しました、苦手な英語は受検せず、6科目をとりあえず受験しました。
英語を含めた残り2科目は翌年にまわしました。
そして、受験した6科目、お見事すべて合格しました。
「あと2科目、受けておけば良かったなあ」
なんて、彼と2人で笑いあいました。
さあ、6科目合格、一番喜んだのは、父親。そして、おばあさんです。
「先生、本当にありがとうございました、すごいことになりました。いろいろ相談した方に報告しましたら、あなたの息子さんは、頭がいい、すごいですよと褒められました。最高の孝行息子です。もう嬉しくて嬉しくて仕方がないです」
深々と頭を下げられ、まさに感動、感動でした(勘当ではありませんよ😁)
そして、同時に、地域の方々のA君に対する評価は、180度変わりました。
合格するまでは
「高校を辞めるなんて、ありえない、あの塾の先生に騙されてかわいそうに」
なんて、私も散々、陰口をたたかれていました。
ところが、合格すると、同級生からは
「信じられない、びっくりした、すごい、すごいよ」
近所のおばちゃんが、おじちゃんが、みんな
「すごい、頭がいいな、天才だなあ」
A君は多くの人から褒められまくったのです。A君は大きな自信を得ました。
翌年、英語含め残り2教科すんなり合格。学校に通っていれば高校2年、17歳で高校修了となりました。
当時は、飛び級ができないので、大学受験ができないので、独学で宅地建物取引士(宅建主任)の勉強をして、一発合格。
そして、あれほど苦手だった英語が好きになり、これまた、独学でTOEIC920点、750点以上取れれば名だたる企業に勤めることができといわれる試験ですからね。それが920点、本当にすごいです。英語はもちろんペラペラ、同時通訳だってもちろんできる実力です。
姿を見かけないと思ったら、外国に出かけておりました。アメリカ・インド・中国など、積極的に出かけておりました。外国人とルームシュアしておりました。観光地だけではなく、いわゆるスラム街なども見てきて、その惨状などを話してくれました。その後国公立大学に進学しました。
さて、次はBさんの話へ移ります。
Bさんは、不登校で、当時は高校3年生、定時制に籍を置いておりました。
お母さんからの依頼は
「中退しているので、18歳で卒業はできない。なんとか、同級生に遅れないで、高校を終えたいので、
高卒認定合格をお願いしたいのですが」
Bさんの時は、時は流れ、高卒認定になっており、年2回の試験、高校在学でも受験できる制度になっていました。
定時制在籍のまま受験できました。不登校ということもありましたので、家で教えること、家庭教師という形で
教えることになりました。
まずは、本人と面接しました。お母さんとBさんと面接しました。Bさんは、生気が全くなく、ボーとしていました。
とても勉強などできる状態ではないように感じました。面接しましたが、Bさんは一言もしゃべりませんでした。
おそらく、これまで、カウンセラー・大手の学習塾・その他相談できる人などに頼んだのでしょうが、うまくいかなかったのだと察しました。穏やかに話されますが、お母さんの真剣さが伝わってきて、
私が、もしかしたら最後の砦かも知れないと思い、
「まあ、何とかなるさ、引き受けよう」
と腹をくくりました。
8月の高卒認定試験までおよそ3か月、5,6,7月、一回2時間、月に10回、3か月で合格を目指すことになりました。
勉強をする日を決めて、最初の日を迎えました。ところが、Bさんは、やはり、とても勉強ができる状態ではありませんでした。うつむき暗い表情で何もしゃべらない、5分もしないうちに大粒の涙を流し、泣き出してしまったのです。
今日は無理だと私は判断し、にっこり笑顔で
「今日は無理みたいだから、また、次にしよう、気持ちが落ち着いたら勉強しよう。また、来るよ」
勉強を教えることなく、帰りました。
帰るとき、心配されたお母さんには、
「今日は勉強するのが無理な様子なので帰ります。また来ます」
これまた、笑って1分弱くらい短く話をして帰りました。
そして、2回目を迎えました。今回も全く同じ展開、涙が止まらないBさん。やはり勉強できる状態ではありません。
1回目と同じようにBさん、お母さんに告げて帰りました。
2回も同じ展開で困ったわけですが、ふつうは
「2回もダメだったので、無理ですね」
こういう話になり、やめていく人が多いと思います。
しかし、なぜか、私自身、重大だとは考えないで、
「なんとかなる」
そして、なんの手も打たないまま、3回目を迎えます。後になってわかったのですが、この何の手も打たなかったことが功を奏したのです。
3回目、皆さん、どうなったと思われますか。
なんと、2時間、Bさんは勉強をすることができたのです。 もちろん、こちらもうまくいかなかった1,2回目のことは
一切触れません。完ぺきではないですが、2時間勉強できましたね。Bさんは、涙を流すことはありませんでした。
そして、4回目、5回目、だんだんBさんの表情は明るくなり、気合が入ってきました。こうなると、もう大丈夫。
私はどんどん楽しくなっていきました。
参考までに勉強の進め方ですが、こちらで勉強する内容をまず決めて、教えます。そして、勉強した範囲で解くことができる過去に出題された問題を解いてもらうという形で進めます。実際に出た過去の問題が解けることで自信をつけてもらうというやり方です。Bさんは勉強を進めていき、毎回、少しずつ過去の問題が解けていきました。問題が解けるごとに、本当に楽しく勉強できていましたね。回を重ねるにつれて、だんだんではなく、どんどん問題が解けるようになり、積極的になり、もはや別人のように明るくなりました。
そして、2か月を過ぎるころには、何と過去の問題の半分は解けるようになっていました。
高卒認定の合格ラインは50点程度ですから、もう合格ラインに届いてきました。
「もう半分はできているから合格できる!試験まで、あと1か月もあるしね」
もはや合格はゆるぎないものになってきました。
私もBさんも、完全に合格できると確信をもてる状態まで来ていました。
ですから、お母さんには
「十分合格できますよ、もう大丈夫です」
と話しておりました。
少なくとも、私とBさんの間では、合格は確実になっていました。
ここで、お父様が、登場してきました。
「先生、気休めは、やめていただきたい、今まで不登校でろくに勉強していなかったのに、
どうして、わずか3か月で合格できるのですか。3か月で合格できるなら、だれも高校へ行きませんよ」
とにかく、帰ろうとすると、必ず、絡んでくるようになりました
「大丈夫ですよ、絶対合格しますから」
何を言っても仕方ないので、私は、毎回、笑顔でこれだけ言って帰りました。
結果が出れば、論より証拠、それで、すべてがうまくいくのですからね。わざわざ、無用な議論をする必要など
ないわけですからね。
そして、受検、見事合格。Bさん本人はもちろん、お母さんもお父様も大喜びでした。
「先生の言われたことは本当でしたね、ありがとうございます!」
これが最高の誉め言葉ですね。
今まで、長きにわたり不登校でどれだけ苦しい思いを、Bさん本人、お母さん、お父さんもしてこられたことか。
高卒認定合格で一気に皆さんが笑顔になりました。みんなを一気に幸せにする素晴らしい制度、それが高卒認定なのです。
Bさんは自信を取り戻し、前向きになり、一気に私立薬学部に現役合格を果たしました。
すべてがうまくいってから、Bさんが話してくれたのですが、
「勉強ができなくて泣いてしまったとき、理由など、いろいろ聞かれると思い、辛くて辛くて、どうして良いのか、わからなかった。でも、先生は何も聞かないで、笑顔でそのまま受け入れてくれたので、楽だった。それまでの先生は、しつこく不登校になった原因などを聞かれ、そのたび、いやな思いをするのが苦しかった」
誰でも、いやなことを話すのは辛いですからね。
深刻に受け止めず
「まあ、何とかなるわ」と明るく構えたのが良かったのかなあと感じています。
2人の事例を話しましたが、いかがだったでしょうか。
高卒認定合格は、合格した本人のみならず、家族、関係者みんなを幸せにします。長い苦しみから解放されます。
「あなたはあなたのままで良いのだから」「自分探しをしていればよい」
こうおっしゃられる方が多いですが、考え方自体は良いと思います。決して否定するものではありません。
しかしながら、世間は甘くありません。優しい人ばかりではありません。この発言をされるのであれば、
これから先に、どうすれば良いのかを明確に示すべきだと思います。これを示せないならば、
軽々しく発言してはいけないと思います。
高卒認定合格は大きな自信になり、自主的に積極的に人生を変える原動力となります。
晴れ渡った次元の違う明るい風景を見てほしい。こんな良い制度はありません。
一人でも多くの人に知ってもらい挑戦してほしいと強く願っております。
人生逆転下克上、あなたにもきっとできますよ!