少年院を仮退院した少年が、殺人事件を犯した福岡事件以来、

保護司であること自体を疑問に思い

やるせない時間を過ごしてきました。何もできない無力感に打ちのめされました。

新型コロナのために家で過ごすことが多い中で、ふと、今は亡き恩師を思い浮かべました。

もし、今、恩師が生きていたなら、どう声をかけてくれるかと思いを馳せました。

 

そして、見方、考え方を変えるにいたりました。

保護司になったからと言って、世の中を変えることができるわけではない、思うように情報を公開してもらえるわけではない。

まず、保護司になれたこと、保護司として認めてもらえていることに価値を見出すことが大切だと考えること。

 

前回のブログでも書きましたが、自ら手をあげ保護司になった人はごくわずかです。ほとんどは、校長、県庁職員などの役人、そして、

自治体、既に保護司になっている人からなどの推薦者です。

「私は保護司になる気はなかったが、何度も頭を下げられて、仕方なく引き受けた」

先輩保護司のなかには、こう繰り返し言う人が結構います。

 

推薦された人ですから、私のように保護司としての資質があるかどうかという審査は形式的で、当然、推薦時点で、保護司になることは約束されています。その組織の信用・肩書などで保護司になってきているわけです。

 

その一方で、私の場合は、組織に属することなく、個人で塾を営んできた人生です。

まさに、保護司の審査は、私個人そのものに対する評価だったわけです。ですから、長い時間がかかったとはいえ、保護司になれたということは、私を国が「人望があり保護司にふさわしい」と認めたということになります。

こんな光栄はないということになりますね。教師を退職後、塾をやって35年間の答えともいえると思いました。

胸を張って生きていけるお墨付きをいただいた。まずはこう考えようと思います。国が私という人間を認めてくれたわけですから、それは、それは、すごい事だと考えて良いと思います。

 

自分自身、今でも無力だと感じていますが、ここまで生きてこれたことに、そして、評価いただいたことに感謝したいと思います。

ずいぶん悩みましたが、今はずいぶん気持ちが楽になりました。