「わたしは○○です」と育児を単数形で語る人って?

 

まず冒頭に

以前書いた記事

やることをやらない子は親次第

に対して

ありがたいご指摘をちょうだいいたしました!

 

”甘え”と”甘やかし”を明確に定義せず

同じ言葉を使い回していたのですが

修正させていただきました。

ご指摘ありがとうございます!!

 

 

 

今回はその方からちょうだいしたご質問

夫婦でどのように

"育児"について

話し合いをしているのか?

についてまとめてみようと思います。

 

 

 

実は同じような質問を

しばしばちょうだいすることがあります。

 

このようなご質問を

耳にする背景には

”夫婦で育児の考えが合わないケースが多い”

という課題が潜んでいるのだと思います。

 

理想的なのはきっと

・夫婦が同じ育児理念を持っている

・同じ目的に向かって邁進している

状態ですよね?

 

ですが

それが案外難しく

・努力はしたけど

   不完全な状態で妥協した。

・途中で話し合うことを辞めてしまった。

そんなご夫婦が多いのかもしれません。

 

 

実際、ボクが過去に参加した

育児のイベントなどでも

わたしはこんな子育てをしています」

とご家庭での育児方針を

話される方が

チラホラいらっしゃいました。

 

話を聞けば

お1人ではなくご夫婦で

育児をされているようなのですが

”わたしは”という”単数形”

お話をされているのです。

 

 

夫婦で育児をしているのに

「わたし」を主語に教育方針を語る

のって何だか違和感を感じないですか?

ボクだけでしょうか??

 

 

 

ボクが企業に勤めていた頃

色んな企業の方々から

企業紹介を受けました。

ただ、誰1人として

”わたしは”と

単数形で説明される方はいらっしゃいません

でした。

 

「弊社では」や「わたくしども」と

複数形で話されます。

 

 

この両者の違いは

一体何なのでしょうか?

 

 

企業の場合

ある目的を達成するために

人を集めて組織を作り

各々が役割責任を負って

活動しているのですから

主語が複数形になるのは

自然のことのように思えます。

 

 

 

育児ではそうではないのでしょうか?

目的や目標を明確にし

役割と責任を分担しては

いないのでしょうか?

していないのであれば

なぜしないのでしょうか?

 

 

 

ボクは

同じ目的を掲げる人がそれぞれ

役割と責任を負うことで

一体感連帯感

育まれると考えています。

 

そして

過去の様々な出来事を通じて

誰かと一緒に

一体感や連帯感を強めながら

目標を1つ1つ達成していくことは

1人で何かを成し遂げるよりも

より大きな達成感と充実感を

与えてくれることを経験しました。

 

ボクはこれを

“共同作業効果”

と呼んでいます。

 

 

健全で強固な信頼関係は

共同作業によってのみ

構築される!

それがこの共同作業効果の要諦です。

 

 

 

夫婦の人間関係もそうです。

親子においてももちろんそうです。

 

 

 

夫婦として

人をゼロから育てる

という

超特大プロジェクトがもたらす

共同作業効果は

誰の人生にとっても

絶大なハズです!

 

このプロジェクトを経て

どれだけの幸福

満足享受できるでしょうか?

想像するだけで

鳥肌が立ちませんか???

 

 

ところが

育児を単数形で語る人が

いらっしゃるのが事実です。

 

大きなお世話かもしれませんが

もの凄い損失だなぁと

ボクは感じてしまいますw

 

特に残酷だと感じたケースでは

パートナーの目の前で

「わたしは」

と当てこすりのような

意味合いも含めた

単数形で語られる方も

いらっしゃいました。

 

パートナーの方は

バツの悪そうな表情で

照れ笑いされていましたが‥

 

 

 

長くなりそうなので

続きは次回とさせてください!

 

・夫婦で育児の目的をどう設定したのか?

・どう役割分担をしていったのか?

 

について

我が家の場合を例に

まとめてみようと思います!