おやじが会社勤めをしていたころ、同好の志が集まって「写真部」なるものを作り、かなり活発に活動をしていました。東京近郊(谷中、千駄木などの下町や鎌倉などなど)、信州、馬篭、妻籠、白川、磐梯、遠野などが主な活動の場で、コーディネータ役など、筆頭に立って活動してくれたのが以前ご紹介した三浦市在住のYMさん。おやじの写真の先生です。彼の写真は、画面の隅々まで神経の行き届いた、密度の高い作品であり、おやじはいつも触発されています。そんなYMさんから「おんべ焼き」に関するメールが届きました。とても良い写真と文章なので、御本人の承諾を受けてそのままここにご紹介します。
「おんべ焼き」
「おんべ焼き」は、「どんど焼き」「左義長」などとも呼ばれ、小正月の行事のひとつですが、旧暦では1月15日の望(満月)の日に行われていたそうです。
新暦になってからは、1月15日はそのままで、「成人の日」に行われていましたが、2,000年に「成人の日」が1月第2月曜日になったため、それと共に「おんべ焼き」も、人手の問題から、1月第2日曜日に行うようになりました。「おんべ」とは、「御幣」の意味だそうです。
「月下のセイト(青燈)」
今年は1月10日に、三浦半島の野比海岸で「おんべ焼き」が行われましたが、夜明け前の月は、まだ三日月で、月下のセイトは、近くの水銀灯に照らされて緑色に映えていました。
竹で作られた、高さ8mのセイトの周囲には、達磨や正月飾りがうず高く積まれ、てっぺんには松が飾られて、年神様を送る準備はすっかり整っています。
「焚火」
海に囲まれた温暖な三浦半島も、夜明け前は寒さが厳しく、セイトの前では、人々が焚き火で暖を取り、今や遅しと点火を待っています。
夜明け前の空に立ち上る赤い火の粉が、これからの「おんべ焼き」を連想させてくれます。
「日の出」
太鼓の囃子と共に、日の出の10分前に、年男衆の松明でようやく点火されましたが、瞬く間にセイトは炎に包まれて行きます。
その炎の勢いは、まるで竜が立ち上がっているかのように見えます。
東京湾を隔てた房総半島の上に、朝日が顔を出しましたが、画面左下では、干支の寅の縫いぐるみも、「おんべ焼き」と日の出を楽しんでいます。
「紅蓮の炎」
セイトの周りは、勢いづいた紅蓮の炎に包まれています。朝日に光る海は陽炎に揺れ、まるで飾り窓のように美しく輝いています。
竹のはじける音がパンパンと響き渡り、辺りに火の粉を散らしていました。
「セイト倒壊」
やがて火の粉を散らして、セイトが倒壊しましたが、竹のセイトの中には材木が組まれていて、その置き火で餅を焼くのです。
長い竹の先には、針金で吊るされた餅が、まるで釣り堀のように、崩れたセイトの周りを、ぐるりと取り囲んでいます。
「餅焼き」
材木の置き火は、まだ盛んに燃えており、近づくと遠赤外線の熱線で、顔がヒリヒリします。
ここでは長い竹竿は必需品ですが、いくつも吊るされた餅は、すでにこんがりと焼けています。
この餅を食べると、その年は風邪をひかないと言い伝えられています。
以上がYMさんの「おんべ焼き」レポートです。見ごたえあったでしょう。おやじもこんな風に撮れるといいですね。
YMさん有難うございました。