日本統治時代の台灣 臺北駅周辺の地図です。

上部のオレンジ色の所が臺北駅。

左側の円形黄色が北門。

その少し南に下った線路の近くに竹の家があります。



この竹の家は高級料亭です。


樺山小学校の同窓会に参加させて頂いた時に

この竹の家の親族のTさんにいろいろお話を伺いました。





この竹の家は公会堂の近くの大和町にあり、

(この地図はかなり古いようで、違う地図には公会堂はこの位置に載っている)

エレベーターもある高級旅館でした。


日本時代の最後の総統19代 安藤利吉も泊まったそうです。

ここで雇う芸妓さんの選考は、やはり器量が良い人を選んでたのよと教えていただきました。


竹の家の隣には、巴自動車カフェトモエその他にも手広く商売をされていて、

この辺り一帯何千坪の敷地を所有していたそうです。


草山(陽明山)にも旅館を持っていたそうで、事業として大成功されていたのですね。


しかし残念な事に、この竹の家一帯は戦争中爆撃を受けて破壊され、現在はもう存在しないそうです。




公会堂の東側の京町通に以文堂と言うお店がありました。

このお店は印鑑や珊瑚を販売しており、

総督府などの公印なども作っていました。

鉄泉の温泉があった草山のふもとに別荘を持っていて、

ご自宅は外観は洋風で内部は日本建築、屋根裏もあったそうです。

現在も2階建てのご自宅は残っており、

1階はセブンイレブンになっています。




京町通と栄町の交差点には菊元百貨店がありました。


この百貨店は1932年11月に山口県岩国市出身の重田英治氏が26歳で台湾に渡り、百貨店の先駆者になろうと設立しました。

7階建てで、当時珍しいエレベーターが設置されており、エレベーターガールもいました。


珍しいエレベーターに乗りに行ったよ、と湾生の方が以前お話されていました。





5階にはレストラン「菊元」

屋上には展望台があったそうです。