この竹の家は高級料亭です。
樺山小学校の同窓会に参加させて頂いた時に
この竹の家の親族のTさんにいろいろお話を伺いました。
この竹の家は公会堂の近くの大和町にあり、
(この地図はかなり古いようで、違う地図には公会堂はこの位置に載っている)
エレベーターもある高級旅館でした。
日本時代の最後の総統19代 安藤利吉も泊まったそうです。
ここで雇う芸妓さんの選考は、やはり器量が良い人を選んでたのよと教えていただきました。
竹の家の隣には、巴自動車、カフェトモエやその他にも手広く商売をされていて、
この辺り一帯何千坪の敷地を所有していたそうです。
草山(陽明山)にも旅館を持っていたそうで、事業として大成功されていたのですね。
しかし残念な事に、この竹の家一帯は戦争中爆撃を受けて破壊され、現在はもう存在しないそうです。
公会堂の東側の京町通に以文堂と言うお店がありました。
このお店は印鑑や珊瑚を販売しており、
総督府などの公印なども作っていました。
鉄泉の温泉があった草山のふもとに別荘を持っていて、
ご自宅は外観は洋風で内部は日本建築、屋根裏もあったそうです。
現在も2階建てのご自宅は残っており、
1階はセブンイレブンになっています。
京町通と栄町の交差点には菊元百貨店がありました。
この百貨店は1932年11月に山口県岩国市出身の重田英治氏が26歳で台湾に渡り、百貨店の先駆者になろうと設立しました。
7階建てで、当時珍しいエレベーターが設置されており、エレベーターガールもいました。
珍しいエレベーターに乗りに行ったよ、と湾生の方が以前お話されていました。
5階にはレストラン「菊元」
屋上には展望台があったそうです。