先日、台湾の大きな古地図を台湾の友人が送って来て下さいました。
嘉義市
これは私にとってめちゃくちゃ嬉しい。
右下の方に、農林学校とあるのは
伯父が通っていて
1931年に甲子園で準優勝した嘉義農林学校です。
嘉義農林学校は1、2年生は全員寄宿舎で寮生活だったので、伯父も嘉義農林学校の横にある寄宿舎にいたようです。
農林学校の東側には嘉義神社とグランドがあります。
ここで野球部の選手達は一生懸命、練習をしていたんだろうな。
伯父は嘉義農林学校卒業後、嘉義営林署に勤めていたので、北門のすぐ近くの営林署官舎に住んでいたようです。
この事は伯父の台湾の戸籍に住所が書いてあったので、間違いないです。
嘉義の街は碁盤の目のようにきちんと区画整理されていて、位置関係はとてもわかりやすいですね。
基隆市 「きいるん」
多くの日本人が戦後引き揚げた港がある
基隆市。
父の兄はきいるんの造船所のエンジニアをしていたそうです。
ビーフンで有名な新竹市。
私が存じ上げている湾生の男性のお父様は、
新竹の上級警察官だったそうです。
地図を目を凝らして見ると、中心部に警察署があるのがわかります。
当時の警察官は、厳格な人柄だけではなく、
とても人情味があり、刑務所に入っていた台湾人にも優しく接していたそうです。
台北の地図は以前から持っていました。
父が通っていた台北建成小学校は、
大正街駅近くにありました。
現在の中山駅です。
台北市内もインフラ整備や
環境などを入念に考えて作られました。
例えば、台湾は台風や洪水が多いので、
電柱や電線を地中に埋めたり。
シロアリが多かったので建物は木造はやめて、
コンクリート造りにしたり。
疫病が蔓延しないよう、水廻りを整備したり。
大正時代に、木村泰治と言う人が日本人が住みやすい街として大正町を作り、日本人が住んだそうです。
今の林森北路辺りです。
まだまだ私は知識が少ないので、
知識人の方の話をいろいろ聞いて、
台湾の事を学んで行きたいと思っています。