勉強することの本当の意味。
これから書く内容は、多分今までにこういうことを考えたことがある人にだけ理解できると思う。
それはルートヴィヒ=ヴィトゲンシュタインの著した『論理哲学論考』の最後の一節により示されている。
『およそ語りうるすべての事柄は明晰に語りうる。
ゆえに語りえぬものについて、人は沈黙せねばならない』
話は変わるが、例えばここに一握りの砂糖があったとしよう。
「これをなんという?」という投げかけにたいして、
「白い粉」と答えても、
普通に「砂糖」と答えても、それは正解だ。
『砂糖』というのはその物質本体を言い表す言語記号に過ぎない。
だから『白い粉』と答えたとしてもこの問いかけについては概ね正解。
つまり何が言いたいかというと、その『白い粉』という言葉を人間社会的に明晰に言うと『砂糖』なのである。
世界に存在するすべてのものは『抽象的→具体的』という風に明晰に語ることができる。
世界は命題に満たされている。
だが、その命題に実体はなく、目にも見えない。
今まで抽象的にしか見えていなかったものが具体的に見え始めたとき、
はじめて命題に触れることが出来る。
真理とはどこにでもいくつでも転がっている。
ただ、人には見えていないし、見ようともしないのだ。
人は頭の中で考えられること以外は考えることはできない。
つまり、人は自分の世界以外の場所で真理を掴むことなどできない。
ゆえに、語りえないことについて、人は沈黙せねばならない。
勉強することとはすなわち、見えていないものを見えるようにし、自分の世界を広げること。
家庭科や音楽、美術、体育なんかを本気でしないやつはそこらへんが弱さだ。
本当の意味で勉強をしているやつは間違いなく強い。
久しぶりに哲学した・・・・・・・・疲れたからノシ