感情コントロールのできない子にも高次脳機能の低下した若者にも認知機能の落ちた老人にも体の痛みや苦しさの日々の病者にもわかる教えがあるはず。山上の垂訓のように、これらの人々こそ幸いなはずで、健常者や頭のいい人には盲点になりそうな教えが。
 
マタイによる福音書第5
こころの貧しい人たちはさいわいである。天国は彼らのものである
 
こころの貧しいとは一体なんだろう?
精神機能の弱いことだろうか?
ともあれ、おさなごのような純粋さ、人の教えを素直に聞く謙虚さがある人はあの世で天国に入らせてもらえるのは当然として おそれを抱く者、自分を傲り高ぶらず、世界に畏怖の念を抱く者が、重要なのではないだろうか?
 
普段通り・予定通りいかないと不機嫌になったり、自分の力を過信して慢心したり、ハイソな気分で優雅に過ごしたり、そんなのは人生の意味や世界に対する怖れとかとは対照的な態度であり、子ども、とくに幼な子は、明るく笑ったりもするけれど、それは、世界の中で自分の小ささを充分自覚したなかでの遊びや笑いだろう。

 

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