理由がない…

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ヤツメウナギのように、あるいはハエやトンボのように、目が出来るだけ広い範囲を見ることができるように進化するのは、とても理にかなっていると思うが、

なぜか、哺乳類で眼球が3個以上ある動物はいない…

視覚よりも嗅覚もしくは聴覚の方がもっと役に立つからなのだろうが、それにしても、ほとんどの動物が眼球が1個でも3個でもなく2個であるのは一体何故なのか?立体視が必要なのか?ならば、さらに進化して眼球3個の動物がいてもおかしくないはず…

やはり、左右の対称性が眼球2個を生み出しているだけかもしれない…


このように、進化というのも、合理的でないことが少なくないわけで、はっきり言えば、偶然生じたというだけの現象だったりするわけだ…


衣食住に対する飽き

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豪華な料理を食べたいという欲があっても、その前に普通のごはんを腹いっぱい食べてしまえば、もう豪華で美味しい料理を食べたいという気はなくなってしまうだろう。

ブランドものの高価な服を持ちたいと思っても、その前に普通の着心地のそこそこ機能的な服を着れば、、、どうなのだろう?

広くてプールや庭付きの豪邸に住みたいと思っても、そんなに狭くはない居心地の良い家に住んでそこに住み慣れたら、、、どうなのだろう?


本能と欲。


本能は満たさなければ人間は生きていけない。
しかし、欲は満たす必要はないし、欲に振り回されてはならない・・・
欲が実現して満たされても、それを感謝したらいけないのかもしれない・・・

感謝すべきは本能を満たせたらなのかもしれない。

 

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人は飽きるという本能がある

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人は飽きるという本能がある。
人、というより、動物全般の本能であろう。

キリスト教でもマナという完全栄養食に飽きて神に不平不満を言った民の話もあるし、そもそもアダムが禁断の果実を食べて罪を犯したのもそれまでの生活に馴れて飽きたからだろう。

夫婦でも倦怠期というのがあるようだが、人は平凡な幸せに、やがて、不満を、飽きを、さらには不安を覚えるものだ。

平安はいつまでも続くわけではないだろうという不安を・・・

もしかしたら、永遠に保証された幸せに対して、ずっと感謝していられるように願い求めるのは、幸せがいつまでもずっと続くという保証がなくても、不安を抱かず、信じて、感謝するというのが大事なのかもしれない。それが本当の信仰の命題なのかもしれない・・・

(感謝したら不幸なことが起きるという、そんなことがあっても、感謝できるような気持ちが必要なのかもしれない・・・)

 

 

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目標2

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苦しみを悲痛な思いで神に祈ることはよくあることだ(苦しい時の神頼みなんて誰にでも出来る…)。

しかし、

嬉しさを感謝の思いで神に祈ることはあまりない、しようとしない、しないようにしている。

なぜなら、感謝したとたんに、不幸が来ることを心配しているからだ。油断すると、一寸先は闇だからだ。

しかし、、

感謝したとたんに崩れ去る幸せなんて、本当の幸せと言えるのだろうか?

天国に行った後に、感謝したら、地獄に落とされたりするようなら、そのは本当に天国と言えるのだろうか?


安心して、心から感謝の祈りを捧げられるのが望みだ…そんか機会は訪れるのだろうか…それこそ、祈り望みたい…


なぜ今ここに自分が

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過去の自分の体験を思い出す時でも、

夢から覚めて、夢の中での自分を思い出す時でも、

それは俯瞰的な二次元の実感のうすい内容である。

一方、今まさに自分がこの場で感じている体験は立体的でリアルな実感の強い内容だ。

これは、後者において、なぜ自分が今これを感じる主体として存在しているのか、他の誰でもなく、他のいかなる時でもなく、自分が今感じているという疑問を湧き起らせ、それに対して、前者においては、自分じゃなくても誰でもよかったのではないかとか、何よりその時ではなく、別な時でもよかったような、そういう曖昧なものを感じさせる。

 

あくまで、なぜ今ここに自分が存在しなければいけないのかという必要性を考えると、過去や夢の自分はいなくてもいいように感じられるし、しかし、実際には過去や夢の中の自分も自分自身であったことなどは、存在の意味を考える上でヒントになりそうだ・・・

 

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夢の中で主人公であるという実感

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夢の中で自分が主人公であるなどと意識することはないだろう。現実世界の中で現実の雑事に忙殺されている時と同じようにただ目まぐるしく行動する。
しかし、現実世界の中でふと我に返って内観する時、自分という存在を考えることができる。そして、その時の内省は俯瞰しているような思考になっている。
夢の出来事を目が覚めてから思い出す時も同じで、俯瞰して思い浮かべるのだ。
ただし、明晰夢のように自分が体験しているのが夢だということを認識しているときは一歩遠くから夢体験を引いて見ている、俯瞰した様式かもしれない。
明晰夢だって、完全に夢を客観視できる状態になれているわけではないので、完全な俯瞰図ではないけれど。もし、訓練で完璧な明晰夢にすることができるようになったら、違うのかもしれない・・・

 

とくに、明晰夢の中で、マインドフルネスのような外界に左右されず、ただ自分はなぜ存在するのかだけ考えるような状態になったら・・・

 

 

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目標

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アルコール依存症やニコチン依存やスイーツ依存などこれらは依存物質を摂取すれば直ぐに手軽に満足感を得られ、そしてその分半減期短く短時間で再度その依存物質を追い求めることになる。これらに対して、子どもの幸せや自分の仕事の目標や夢などは長期的な追求であり、気を長くして、精神を安定化させる。これらの非物質を追い求める精神は物資依存があると邪魔される。短期的な満足感ですぐに満足してしまい、長期的な満足感を得ようとするモチベーションが弱くなってしまうから。

神から見たら、家族の幸福や仕事の達成を追い求めることですら、中期的な依存対象なのかもしれず、もっと長い目で追い求めるべき崇高な目標があるのかもしれない。現世的な欲に惑わされないようにすべきなのかもしれない。

人は目先のことにとらわれてしまう。心理学の実験でも子どもに対して、待たずにすぐお菓子をもらえるのと、少し待って倍の量のお菓子をもらえるのと、多くの子どもに試してみた結果、待って倍のお菓子をもらった子どもの方が将来知的レベルが高くなっていたという。確実により多くの幸福か保証されているなら誰だってそっちを選択するだろう。しかし、現実は複雑で予想不可能で一寸先は闇であり、目の前の快楽にとりあえず飛びつくことが少なくない。しかし何が益か?益だと思っていたことが害である場合も少なくないし、害だと思っていたことが益である場合もあるわけで…

ただ一つ、死だけは、はっきりとした害であると進化論を信じる科学者や一般の人々は当然のように考えてるけれども、死ですら、その死後においてどうなるかはわからないわけで…

 

 

 

視野狭く短期的になってはいけないのはもちろんだが、どこまで遠くを見通す必要があるのかも考えないといけない。

悠久の宇宙の歴史に比べれば人間の活動などちっぽけな一瞬の出来事…

 

 

しかし、人間の一生は何年あるいは何十年かの限定された期間だ。限定されていればゴールがある。

無限に永続する宇宙にゴールがあると言えるのだろうか?

 

 

ゴールや目標や目的があるならば、それは有限の期間でなければいけないような…もしくは、天国へたどり着いて、ずっと至福の時を永遠に過ごして終わりなのか?

 

 

 

 

 

 

 

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臨場感・立体感覚

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夢を見てるとき、立体感覚的な臨場感のある視覚になっている。

一方で、覚醒時にいくら夢のことを思い出して追体験しようとしても、平面的な俯瞰的なものになってしまう。
逆もしかり。
 
ここに、視覚的な意識のヒントがあるような気がする…
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記憶機能と夢

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夢の中でいかに前後脈絡関係なく時間が流れようと、記憶は短時間保持され、自分という記憶の主体が存在していることによって、自分という感覚が生じる。

 

無意識のなかに記憶されるものがあったら、その記憶が時々顕在意識にも表れて、ああそういえばこんなことを経験したような気が・・・と感じることができる。

 

無意識はあくまで自分の脳の奥底に意識であり、もちろん、他の人の意識でも記憶でもないわけで、自分は自分という実感を感じる。

 

 

もし、夢の中で意識がはっきりしていて、記憶力も覚醒時と変わらずしっかり機能していたら・・・そのとき夢はやけに長く感じるのではないだろうか?
逆にいえば、はっきり長く感じる夢は浅い睡眠深度で記憶力がしっかりしている状態なのだろう・・・

 

 

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夢の中での不確かさ

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夢の中で自分が今何をしているのか、何をしていたのか、わからなくなるだろうし、しかし、その主体としての自分の存在はリアルに感じている。

なぜ自分の存在をリアルに感じている必要があるのか?

いや、夢の中では覚醒時とはその感じ方が違っている、劣っている。

しかし、それでも、他の誰でもなく、この自分が主人公だという実存を感じている。

夢を記憶するために必要なのか?

記憶を整理するために必要なのか?

もし、「この自分が主人公だという実存を感じる」ことなく、脳が勝手に記憶を形成していれば、それは無意識になるのか?

 

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