武田鉄矢の3枚下ろしを聞いていてヒントを得た。

http://www.joqr.co.jp/takeda_pod/


実験で、右脳を刺激すると左手を動かしたくなる(逆に左脳を刺激すると右手を動かしたくなる)、その際、本人は自分の意志で動かしたいと思ってたらしい。自由意志を試される実験だ。

リベットの実験も同じだが、何となく動かすときの精神というのは脊髄反射のように本人の本当の思考活動(自由意志)を反映してはいない。

つまり、毎日の出勤のように、ルーチンとして、靴を履き、玄関を開け、駅の方に向かって歩くとき、本人はどこまで意識的に動いているかと言えば、本人の思考活動はほとんど関わってないだろう。むしろ、本人の思考活動は別なことを行なっているかもしれない(靴を履きながら、仕事上の悩みを思い浮かべあれこれ考えていたり)。

後から問われれば、出勤のための靴履き、玄関開け、駅への歩行は、自分の意志でやったと答えるだろう。これが、上記の脳磁気刺激実験やリベットの実験で言われてるだけのことだ。



自由意志はある!


そして、何気なく、何となく、無意識のうちに行なっていることはそれはそれで毎日の生活を自動的に行える点でメリットはあるものの、本当に大切なこと、とくに、いつもとは違うことに対しては、自分の思考活動でしっかり考えなければいけないと思う。本当は、一日として同じ日はないのだから、いつも、真剣にしっかり考えないとダメなのだろうが、それでは疲れてしまうから、一日中フルに考え続けることまでしなくていいだろう。

とにかく、大切なことには、何となくこうなりそうとか、何気なく期待感でとか、自分の直感でとか、ではなく、 真剣に考えていかないといけない。


 

 

 

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他人の考えていること全てに100%共感することは難しい。たとえ、家族であっても。

何故、そういうふうに考えるのだろうかとか、
何故、あまり深刻に受け止めないのだろうかとか。


相手のそれまでの人生経験からそういう考え方・感じ方になっているのだろうが、きっと同じ人生を歩んでも自分には理解しようがない価値観に相手との溝を感じるものだ。


この溝をなくすか、あるいは、そんなにたいした溝だとは思わないですむ方法はあるのだろうか?

溝をなくすためには、もっとも根源的なところで共感できるようにすればいいかもしれないが、後者のあまり溝を感じないで済ませるのは感じない・考えない主義になろうとするだけで意味がない。


根源的なところ、つまり、人生の生き死にや幸不幸の一番単純なところで共感するしかないだろう。


たとえば、コロナを恐れる人、恐れない人、さまざまだが、空腹時にご飯を食べたときの幸せは、全世界共通だろう・・・
あるいは、親しい家族が亡くなった時の哀しさや・・・

 

つまり・・・

 

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世界中の人間たちがコロナコロナと騒いでいるこのときも、自然界は普通に穏やかに春を迎えている。
サクラは咲き、風はそよぎ、太陽は燦々と輝いている。

 

睡眠中の夢も同じだ。
夢の中で人間はいろんな体験をする、喜んだり、怖がったり・・・
しかし、実際には何も起きておらず、夢から醒めるといつもの自分・世界だということを知る。


いろんな出来事が起きても、それは、この世界・自然から見たら、何一つ、恐れることはないはずなのだ。

 


「何のために生きるか うーたん」とググれば、僕の3つのブログが見れます・・・

 

 

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ある調査によると、47歳が一番幸福度が低いらしい。
Midlife Crisisなのだろう。


48歳以降に幸福度が高くなっていく要因は何だろう?まだ定年退職の歳までしばらく時間があるけど、自分の仕事の能力の限界を感じて、それまで高すぎた目標・理想を一旦下げて、それで気が楽になるからなのか?


とにかく、40歳代後半からは、幸せになれるんだと信じて、今は何とか耐えていくしかない。

 

 


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前回は哲学者の山口尚の著書を紹介したが、彼は、著作の終盤で、幸せの価値を美に置いていた。
美・・・
僕は違うと思う。
美は個人的なものになってしまうから。
そうではなく、僕は、人生の意味は、人間関係が関わっていると思っている。

生きている限り、人間関係が必ず関わってくる。
家族のことだったり、あるいは赤の他人・よその国との対立だったり。
何故、この世界でこれほどまでに人間関係が関わってくるのか?
無人島では人は一人で生きているのだろうが、これは特殊な状況である。
そうではなく、普通、人間は社会の中で他の人と関わりながら生きている。社会的動物である人間にとって、産まれてから、生きて、暮らす中で、他の人との関わりは絶対欠かせない。

独りで生きていく人たちだけの社会だったら、人類は絶滅しているし、そもそも人類がこの世で生き延びていない(恐竜は絶滅したが)。


人間関係、もしくは、他人への見方。。。

他人はもしかしたら自分自身なのかもしれない。。。。

 

 

 

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人生の意味・・・その答えというものは幸福につながらなければいけないものだろうか?

 

幸福にならなくても、それが意義あることならば、それはちゃんと意味があるだろう。

 

自分の人生が苦しくても、それが世界や他者にとって意義あることなら、それは意味がある。しかし、その世界や他者が幸福につながらなくても、意義があると言えるかどうか?世界にとっても他者にとってもそして自分自身にとっても誰も幸福にならない(かといって別に不幸になるわけでもない)場合でも、意義があるとか、報われるとか、そういう人生の目的・意味・意義はあり得るだろうか?

とくに、全知全能の神というか、この世の創造主というか、一番の支配者にとって、幸福という概念はあるのだろうか?そういう存在にとって、すべては特に何か努力したり苦労したりして手に入れるべき目標・課題ではないはずだろうから。

 

必要ではあっても、必然というか当然なるべくしてなる行為・結果・筋道であり、しかし、やはり、その人がやらなければいけない、その人じゃないといけない、何か必然性はあるであろう・・・

 

「幸福と人生の意味の哲学」  山口尚

https://www.amazon.co.jp/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%A8%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%B0%9A/dp/479870170X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%A8%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6&qid=1583400870&s=books&sr=1-1

(僕の評価としては星2つ程度・・・)

 


幸福・・・
上記の著者は、何が幸福かという議論をまず出してきているが、その前に、僕は幸福なんて考えなくてもいいのかもしれないとふと思った・・・

 

 

 

 

 

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今を生きていることを実感する。しかも、大切なのは、他の人がいるときに、自分の存在・意義を実感することだ

この世は波や振動が大事だと思う、素粒子以下のレベルでは特に。

振動や波は単体では存在意義はないと思う。

共鳴だったり、受信だったりが大事だろう。

つまり、自分一人で何か波を発していても、意味はない。

それを受け取る受容体(受信機)なり、共鳴する相手の存在が大事だ。

(もちろん、この世界全体が受信していると考えることもできるし、この世界全体が共鳴してくれると考えることも可能だが。。。)

とにかく、目の前にいる同じ知的生命体である他人に対して、自分が何かを発信し、受け止められたり、共鳴してもらったり、そういうことを想像しながら、自分自身がなぜ存在して何をすべきなのかを考えていきたい。

 

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量子が粒子でもあり、波でもあるということが、意識にも関係しているかもしれない。またホログラフィック理論のように、この世が波によっていろいろ情報を蓄積しているという可能性を今は考えている。

 

以前はシュレーディンガーの本を読んでいたけど、最近は、フリッツ・アルバート・ポップというドイツの物理学者が気になる・・・・理論生物物理学者という肩書らしいが、もうなくなられてしまっているようで、著作も邦訳のものはなさそう・・・

 

https://www.biontologyarizona.com/dr-fritz-albert-popp/

 

 

 

 

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今を生きている。現実的に色々やるべきことは多いけれど、本当に大事なことはただ一つ、今を生きていることを実感することだ。実感がわかないなんて言い訳はいらない。今ここでこうして存在して感じ考えているだけで、今を生きていることを実感しているはずだ、それをはっきり意識してるかどうかは別であるが。

今の状況がパッとしない、あるいはこれから先の見通しが明るいとは言えないようであっても、それでも生きていることに変わりはないし、内容は関係ないのだ。何か素晴らしいことを体験してるとか、何か素晴らしい未来が待ち受けていそうだとか、そんなのはどうでもいい。有意義さというのは、世間の常識であり、それは真の人生の価値観からは遠く外れている。

寂しい現実だろうと、虚しい将来だろうと、それは、現世的な価値観を基準にしており、意味ない。

大事なのは、この広い世界の片隅でこの自分が存在し、自分や世界を感じながら存在している、この不思議さ、かけがえのなさを深く感じることだ。


とくに、誰かが目の前にいる時に、今を生きている真の実感がわく。人は必ず他の人との繋がりの中で生きているから。

相模原殺傷の容疑者は大麻精神病で妄想にかられて心身喪失だったと、弁護側証人の医師が説明していた。
大麻は安全だとか言う人は、こういうことをどう感じるだろう?
大麻は安全ではない。

思慮深い親は子どもに違法薬物の後遺症の人の姿を見せて、ああいう人にならないように教育している。
大麻を含め、違法薬物は、人格レベルを徐々に下げて、アホでバカでどうしようもない人間を作ってしまう。
本当に、本当に、…