スイスの神経内科のオラフ・ブランケ博士は、脳の中の側頭頭頂接合部(角回ともいわれる。英語でTemporoParietalJunction略してTPJ)、特に右のTPJへの電気的刺激(経皮的な磁気刺激でもいい)で、体外離脱体験が惹き起こされることを以前から言っていたが、最近はどうなっているのだろう?

体外離脱体験を惹起する部位というよりも、空間や自他識別などに関与する部位と思われるのだが、私的には、ここで神の座を考えてしまう・・・。

人が見ている光景は、実は、神にも同じように見えていて、その人が美しい自然の景色を見て感動していると、その人の脳に宿っている神も同じように喜んでいる(と仮定しよう)。見るものだけじゃなく、聞くものも、感じるものも、神にそのまま伝わっている。聖書に「いつも喜んでいなさい」というメッセージがあるが、何か苦しい状況であっても笑顔で喜ぶならば、その人の中の神もその人のその姿勢に喜ばれるのだろう。。。
聖書に「情欲をいだいて女を見る者は~(中略)~すでに姦淫をしたのである。~(中略)~目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい」とあるように、すれ違った女性の大きくはだけた胸元を見ている男性がいたら、その男性の脳の中の神は、まるで無理矢理ポルノ映画を見させられているように嫌な光景を見させられているわけだ。
目が見ている光景が、脳の中の神にとっては映画のスクリーンを見ているように、そのまま見えてくるのだ。

ただし、

ただし、神はその人の知覚を同じ様に知覚することはできても、その人の想いや考えは直接は認識できないのではないだろうか?笑ったり、泣いたりしている状態ならば、嬉しいんだろうとか悲しいんだろうとか間接的に知ることはできるけれど・・・

(さっきから突拍子もないことを述べているのは重々承知しております。私個人の仮説・想像・妄想です・・・)


ここで、初めのTPJの話に戻る。
TPJは刺激されると、幽体離脱のような自分の魂が自分の肉体の上方に離れて存在しているように感じながら、自分の肉体を見下ろしつつ、自分を他人事のように見ているような状態になる。

離人症という症状があるが、自分が自分であるという実感がわかないとか、自分の目の前に何か膜みたいなものがあるような感じで外の世界がぼやけて見えるとか、自分や世界の存在が実感をもって感じられないような状態であろうと思われる。

脳の中でTPJという部位が何の中枢なのかは未だにはっきりわかってはいないんだと思うが、とにかく、自分が自分であることや、自分と他者の識別などの感覚は、脳の高次機能の中でも稀有な機能だと思われる。

自分という認識は、かなり特異な機能であり、いくら同じ脳に同居していても神には神の自意識があるわけで、共有できるものではないはずであり、したがって、自分が自分であると感じる、あるいは、考えることは、神には直接は伝わっていないだろうと思われる。

その人自身ですら、たとえば、夢の中での自分に対して、少し客観的な第三者的な冷めた目で観測していることが少なくないわけで、睡眠中の前頭葉は活動していてもTPJが休んでいる時などは、自分という感覚がマヒしてしまっているかもしれない。逆にlucid dream(明晰夢)を見ている時は、TPJも活動している時なのかもしれない。



さて、前置きが長くなったが、これから、一番言いたいことを述べたい。


何かを見る時、神も一緒に見ていると思って、良い景色を見よう。
そして、それを見て、笑顔を作る。

あるいは、困っている人が倒れていたら、それを見て、すぐに助ける。

あるいは、聖書を読むとき、祈るときは、声に出して行う。

何が言いたいかというと、ただ思っているだけ、ただ考えているだけでは、神には伝わっていないだろうということだ。