「何故自分は存在するのか」を何故考えるのか?
それは、永遠にあの世に存在し続けるか、死んでもいつかまたこの世に生まれ変わるか、どっちにしろ、存在し続けて苦しみを味わうとなったら困るからだ。


では、一度天国に入れば、永遠に存在し続けながら絶対に苦しみのない日々を送れるとしたら、もう考える必要はなくなるかもしれない。
そしたら、『All is well!』なのか?


きっと、何故苦しみが必要だったかは神から教えてもらえ、納得することだろう。もう二度と苦しみを味わわなくて済むことにも安心することだろう。
何故苦しみを経験してまで至福を目指したのか理解でき、そして、そんな永遠の至福を味わえる『生』にあずかれたことに感謝し幸運を感じることだろう。無の状態であってもよかったとはとても思えないような、僥倖に、そして、自分を誕生させてくれた神に感謝するだろう。


そういう世界では、もう「何で自分は創造されたのか」を問うことは自然としなくなるのだろうか・・・それでいいのだろうか・・・それでいいのかもしれないが・・・