アダムは、初めに、善悪を知る木の実を食べてはいけないと神から言われたとき、「何故ですか?」と質問しなかったのが原罪だ(と最近私は思うようになりました)。


神から言われたことを、ロボットのように、はいはい聞いているだけでは、神から与えられた自由意志を全然働かせていない。怠惰と同じことになる。聖書では怠惰も良くないといっている。


自由意志とは、自分で考え判断することだ。


神はアダムとイブが自分でろくに考えずただ神の言う通りにしかしないようでは、どんどんダメになってしまうと思って、ライオンが自分の子を谷に突き落とすように、アダムとイブをエデンの園から追放したのだろう。
もっとしっかりしろ!と、厳しくも愛情のある躾けだったんだろう・・・

(この躾けはいつまで続くのだろう・・・)


考えるというのは、子どものように何に対しても、好奇心旺盛に興味を持ち、疑問を持ち、答えを求めることだ。


子どもが親に質問ばかりするように、人も常識を疑って、問い続けなければいけない。

(天国に行けるのは幼子のような好奇心旺盛で、かつ、素直な人なのだろう)


常識に流されてはいけない。
安楽に逃げてはいけない。
怠惰に身を委ねてはいけない。


神の言う言葉でも、鵜呑みにしないで、何故なのか考える。

理解しようとする気持ちが大切だ。


しかし、傲慢になってもいけない。

自分の思考力なんかたかが知れている。


正しいと自分で判断したことすら、間違っているかもしれない。


だから、いつも自分の判断決断を振り返りながら、間違いに気がついたら、すぐに反省する。謙虚に。