ワープロを打つとき、頭で文章を考えながら、手でキーボードを打つ。
将来技術が進歩して画面を目で見ながら手を使わず、植込み式のBrain Machine Interfaceか、脳波か、eye trackingの技術だけでワープロを打つことができるようになるかもしれないが、きっと手でキーを打つ方が速いだろう。
これは手の動きと頭の中の考えが乖離しているのだろう・・・
ここに意識の働きのヒントがあるような気がする。


ワープロを使う時に頭で考えずに手の指が小脳の運動記憶で効率的にキーを叩くように、頭(大脳前頭葉)でやろうとするとかえって能率が悪くなるように、言語も、そして言語を使った論理・思考も、実は言語抜きでやろうとする場合とだいぶ違うことだろう。というか、言語抜きで真実を悟ろうとすれば、言語や論理の限界を超えた悟りが得られるのかもしれない。


論理や言語や常識や社会的ルールなどは、あくまでこの世で人間が便利に生きられるように作り上げられたものに過ぎないかもしれない。
あの世に行けば、それらを適用する必要性はないのかもしれない。あの世で必要性のあるものは別にあるのかもしれない。
別にというよりも、この世でも十分価値があるが、前記のものに覆い隠されがちなものなのかもしれない。

例えば、ワープロ。ワープロは人間の考えを他人に伝える、保存する、明白な形にするためには効率の良い手段であるが、あの世ではその必要がないのかもしれない。