何故この世に苦しみがあるのか?
全知全能の神がいるとしたら、何故苦しみのない世界に作らなかったのか?

①キリスト教では人間の原罪に対して罰として苦しみを与えたのであろう。
②仏教では人間の欲望煩悩が自らに苦しみを与えているというのだろう。
③スピリチュアルでは苦しみが人間を成長させるのだろう。

しかし
①神は人間が罪を犯さないような清い存在(神のような存在)にすることができたはずである。幸せに過ごしていても堕落しないようなしっかりした存在に人間を作ればよかったはずである。
②知らないままに苦しい人生の輪廻から脱却して無に帰ればいいのだろうが、とにかく、もうすでに生まれてきてしまった以上死ぬを待つしかない、もう生まれ変わらないようにするしかない。そしてそういう無明のままに転生を繰り返してしまう人間という存在が何故生まれたのか、疑問は残る。
③苦しみがなくても人間は幸せになれるはずだし、何故苦しい思いをして成長努力しなければいけないのか、本末転倒になっている。。。神は背負いきれない苦しみは与え知ないのかもしれないが、成長しなければいけない必要性があるとは思えない。


前置きはこれくらいにして、一つ喩えで考えてみたい。


常夏の国に住んでいる人と、北国に住んでいる人を比べたい。
北国には四季がある。あったかい時期もあれば、寒くてつらい時期もある。
北国に住んでいるAさんという人は寒さをすごくつらく感じて、冬が来ると、手足は冷え、指はあかぎれ、悪寒も生じ、毎年冬はとてもつらく憂鬱になる。もちろん、Aさんにとって夏はその分嬉しく幸せな気分にはなるが、とにかく、冬はとても苦しみを感じる。
一方、常夏の国に住むBさんは、一年を通して暖かい気候に満足している。もちろん暑さがひどい時もあるが、憂鬱な気分になることはなく、燦々と輝く太陽の恵みに感謝している。
この喩えはかなり昔の時代を設定しており、AさんもBさんも外国のことを知らないし、自分の住む土地を捨てて移住するということなどとても考えられないような状況としておく。
Aさんの苦しみ(寒さに対する苦痛)は意味あるものなのだろうか?意味あるものだったら、Bさんにはそれが体験できず、Bさんは不幸ということになる(もし、輪廻転生があって、Bさんも来世でAさんの人生を経験できるとしたら、寒さに対する苦痛の有意義さを体験できるのだろうが・・・)。


もう一つ、喩えを。


脳卒中で救急病院に搬送された患者C。
救命治療にあたった医師はCに麻酔や鎮静剤の投与なしで挿管した。意識レベルが低下していてほとんと感覚はないだろうと判断したため。その後、入院、手術、加療を施してCは無事に退院できるようになった。搬送されてきたときの記憶はなく、Cは医師にただただ感謝している。
Cは覚えていないが(健忘post traumatic amnesiaというのだが)、しかし、実際には、Cは脳卒中直後から様々な苦痛を感じていた。頭痛だけでなく、挿管時の苦痛も感じていた。その時はCにとってまさに地獄のような苦しみを永遠に続くのではないかと思えるような感じで味わっていた。一体、あの時の苦痛は何のためにあったのだろうか?
これと同じように、もし、天国があったとして、死後天国に行ったときには生きていた時の様々な苦悩がすっかり忘れ去られ、いや、忘れるというより苦しかった時のことをむしろ感謝してしまうとしたら?
何が言いたいかというと、全てのことに意味があり時があり、その「時」という順序性によって正当化されるとしたら、その根拠は何なのか?ということだ。『今は苦しくても後で苦しんでないからいい』という理屈は正しいのか?『今も苦しまず後にも苦しまない』のが一番理想的なのに全知全能の神はそうしてない。それは全能に矛盾しているんじゃないだろうか?


全知全能の神の価値観は人間の価値観と違っているという人もいるだろう。人間が苦しいといっても、神から見たらどうでもいいことなのかもしれない。スピノザの神みたいな存在だ。しかし、神が無意味と思っていることに人間が重要さを感じていたら、その事実の存在だけでも十分何の意味があるのか問われなくてはいけないはずだ。なぜなら、神にとっては、この世界は完全な世界であり、全てに意味があり、無駄なことなど何一つないからだ。神にとってこの世界で起こる事象にはすべて意味があるはずだ・・・


苦しみは必ず意味がなければいけないし、ある人が経験した苦しみはその人にとって、あるいは神にとって意味があるはずである。

苦しみは皆イヤであろう。しかし苦しみは皆に訪れる、不平等に。この苦しみに対して受け入れない人もいるし、耐えるしかない人もいる。受け入れないのと耐えるのとどちらがいいのだろう?比較はできないかもしれないし、どちらも意義あるのかもしれない。
しかし、精神障害で拒薬する人のように、受け入れない者はそれだけ適応性は低く予後は悪く、素直に応じる人は予後は良くなる。この世の苦しみも、神から与えられた試練だと思って素直に受け入れたほうが最終的には良いことが待っているのかもしれない