それでも私は「運が良い」 | 60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

50代で介護職を経験し実父と叔母の援助をしながら人生初の60代を生きています。これから『高齢者』と呼ばれるようになる私たちシニア初心者のために日常の自分を通して『シニアの心得』を発信しています。共感していただけると嬉しいです。ご一緒に歳を重ねましょう!

生まれつき才能のある人がいる。


勉強しなくても

勉強ができる人や

練習をしなくても

足が速い人、

容易く絵を上手に描ける人、

子どものど自慢大会で

優勝できる人など。


自分の才能を開花させる

プラットホームがあると

すぐに優劣がわかる。


上に記したものは

学校でもその才能を発揮しやすいので

早い時期に

自分の才能に気づくことができ、

周りからチヤホヤされ

モテて

自己肯定感が上がる。


激しく妬ましいが・・・


流れ星


この世には

目にしていること以外にも

再現性のないプラットホームがたくさんあって

何かの才能に恵まれた人は

その才能を発揮するプラットフォームが

世の中にないばかりに

凡庸な人として

あるいは

ダメな奴として評価され

人生が終了する人が多いと思う。


長い人類の歴史から見ると

人生はあまりにも短い。


環境や行動範囲の抑制によって

断片的にしか世の中を見ることができずに

死んでしまうのかもしれない。


何かに秀でた才能を持って

生まれたとしても

それを使う場所がなければ

宝の持ち腐れ

という訳だ。


虹


情報の溢れる現代、

どこかに埋もれているかもしれない

自分だけの能力を活かせる場所を

見つける方法、

それは


『運』って

便利だ。


どんなことの言い訳にも使える。


良いことにも悪いことにも。


「運が悪かった」

って思えば

諦めもつく。


何の才能もなく

見つけることもできず

努力もできず

なんとなーく生きて来た。


こんないい加減でも

生きて来られたということも

才能なのかもしれない。


それだけで

「運が良かった」

ということにしておこう。