恨み帳とボイスメモ | 60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

50代で介護職を経験し実父と叔母の援助をしながら人生初の60代を生きています。これから『高齢者』と呼ばれるようになる私たちシニア初心者のために日常の自分を通して『シニアの心得』を発信しています。共感していただけると嬉しいです。ご一緒に歳を重ねましょう!

母親のことが大嫌いだった。


私が小学生から高校生の頃

母は

一日も欠かさず

私のことを叱った。


自分の所有者としての我が子が

思い通りに育っていかないことが

シャクに触ったのだろう。


必ず最後に

「ママの言うこと聞いていれば

間違いないんだから」

と言った。


何について叱られたのかなんて

何一つ覚えていない。


早く嵐が通り過ぎればいいとだけ

祈っていた。


流れ星


自分の感情に蓋をして

見ないように見ないようにしていた。


感情は出してはいけないものだ

と思っていた。


自分が自分であるという事実を

受け入れてもらえない私は

毎日

「死にたい」

と思った。


当然

性格は捻じ曲がり

私はグレた。


『グレる』なんて言葉

今では死語かもしれないが、

抑え付けられることではみ出した

反発心を解消するするには

グレるしかなかった。


母の一番嫌がる

世間体の悪いことを

味わわせてやるのだ。


この世で一番嫌いな

「勉強しなさい」

という言葉への反発は

勉強しないことだった。


憎しみしかなかった。


今なら

東横キッズになっていただろう。


その頃の私のストレス解消法は

殴り書きだった。


恨み帳を作り

母に対する罵詈雑言を

書き殴った。


書くという行為は

アウトプットなので

心の中に溜まったものが

出されることで

心に余裕ができる。


それで日々の命を繋いでいた。


20歳の誕生日に

母は私に言った。


「もう大人なんだから

早く結婚しなさい」


私はモテなかったので

3年経っても4年経っても

貰い手がなかった。


母は毎日

「結婚しなさい」

と言った。


私はとうとう

精神を病んで

入院してしまった。


それでも母は

「結婚しなさい」

と言うマシンガンを

打ち続けた。


虹


母から逃れたい一心で

誰でもいいやと思って結婚した。


モテなかった私には

選択肢はなかった。


この結婚で

何とか幸せになりたい

大切にしてもらいたい

という願いがあった。


しかし

早い話

やっぱりうまくいかなかった。


また

恨み帳を作った。


私は

母ともうまくいかない

夫ともうまくいかない

他者とはうまくやれない最低の人間なんだ

と思った。


私に対する文句を論う夫の発言を

ボイスメモに録音したことがあった。


夫と私のどちらに

正当性があるのか

夫の言うように

全てにおいて

私が間違っているのか

検証したかった。


コップ


還暦が過ぎて

アラ高齢者の今に至るまで

私は恨み帳を見返したことも

ボイスメモを再生したこともない。


辛かったことを

なぞって

もう一度辛くなるなんて

時間の無駄だ。


死ぬまでに時間がない。


自分が醜いなら

隠そうとせずその事実を認め

どうしようもなかったと

自分を許す。


もう

そうして良い

年頃だろう。