尊厳死をさせてくれという欲求 | 60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

60代シニア初心者のルンルンでドタバタな日常

50代で介護職を経験し実父と叔母の援助をしながら人生初の60代を生きています。これから『高齢者』と呼ばれるようになる私たちシニア初心者のために日常の自分を通して『シニアの心得』を発信しています。共感していただけると嬉しいです。ご一緒に歳を重ねましょう!

人間一人が清潔に生きていくためには

とても手間がかかる。


食事を作ったり

掃除、洗濯

入浴、買い物

etc


自分のことを自分でできなくなってしまう

認知症になると

それら諸々のこと

他人に委ねなければ

生きていけない。


流れ星


老人ホームには

認知症の人がたくさんいる。


重度になると

発語もないし

ほぼ自力では動けない。


他人に世話をしてもらい

ただ

生きているだけだ。


食事も自分から摂ることはできなくなるので

介助が必要だ。


介護士がお口に入れたものを

飲み込んでくれるならまだ良いが

お口を開けない方もいる。


老人ホーム側としては

なるべく死なせたくないので

あの手この手で

食べさせる。


私はそれを見て

その方の尊厳が

守られていないように感じた。


人は死ぬまで

やりたいことと

やりたくないことが

あるはずだ。


多分

生きることに欠くことのできない食事を拒否するということは

食べたくないのだろう。


ヨーロッパでは

スプーンで口に食べ物を持って行った時

食べなければ

その方の選択を尊重し

無理に食べさせることはしないそうだ。


"神の思し召し"


宗教が浸透している国ならではの

ドグマだ。


もし自分が

重度の認知症になった暁には

食べるか食べないかの選択は

自分で決めさせて欲しい。


食べることは生きること、

食べないことは

尊厳死をさせてくれ

という欲求だ。