生活している中で
母の亡くなった日のことが
たびたび蘇ってくる。
母は認知症でもなかったし
意識が無くなって
死んでいったのでもない。
死を認識しながら
悲しみの中で
死んでいったのだと思う。
どんなに辛かっただろう…
今この世で生活している
身近な人を失った人たちは
そんなフラッシュバックを
多かれ少なかれ
経験しているだろう。
そして
自分の死に方について考えたりする。
私は認知症になりたい。
認知症になって
痛みを感じにくくなり
生や死について考えなくなれば
自分も楽だし周りの人たちも
「苦しまずに死ねて良かったね」
となる。
そりゃ
認知症が絶賛進行中であると
自己認識する時
愕然とするかもしれない。
その時私は喜ぼう。
忘れることの素晴らしさを
有り難く受け入れよう。
一生懸命生きて来たご褒美として
認知症になることを
私は希望する。