年に2度、ひっそりと佇む不動明王をまつる鳴門市のお堂にて不動護摩祈祷をしています。普段は熱心な信者さんたちがお勤めをされているようです。
毎回不動護摩祈祷の前に、ちょっぴり法話をしています。
今回の話題は「よりどころ」です。
不動護摩祈祷に先立って「大聖不動経を唱えても良いか?」という問い合わせがありました。問い合わせをした方によると、とある高僧は著書の中で「大聖不動経は偽経である」と書かれていたので、不動明王の前で偽経を唱えるわけにはいかないという理由でした。
結論から言うと私は「問題ない」と返答をしました。私の判断基準は「その人にとって拠り所になっているかどうか?」です。大聖不動経を唱えることによって心の安定になり拠り所になるならO.K.だと考えています。
拠り所を探し求めた方に弘法大師空海がいます。
勉学に優れていた弘法大師空海は、日本に1つしかなかった大学に入学します。昼夜を問わずに勉学に励み、眠気が出たら自分の足を錐で刺して目を覚ましていたほど没頭しました。
しかし、「どれだけ勉学に励んでも、人を救う方法を書いてある書物はどこにもない」として悩んでしまいます。
そのときに出会った僧侶から虚空蔵求問持法(こくうぞうぐもんじのほう)を授かり、仏教の道に進むため大学を中退しました。
弘法大師空海は、拠り所になる教えを探して密教(現在の真言宗の教え)にたどり着きました。弘法大師空海は拠り所になる密教を求めて唐に渡り、第8番目の密教後継者となりました。
拠り所となる仏教の教えに出会うには、滅多とないことです。仏前勤行次第の開経偈には、100年に1度降りてくる天女の衣で岩を撫で、その摩擦で岩が無くなるまでの時間の単位を一劫(いちごう)といいます。百も千も万もの劫が過ぎても仏教に出会うことができないが、今の瞬間に仏教に出会えたことを大切にしなさいと書かれています。
仏さまはたくさんある中で不動明王と出会い、不動明王をまつるお寺やお堂はたくさんあれど、この場所で不動明王と出会った御縁はかなり少ない確率であり奇蹟です。
拠り所になる不動明王を大切にしてもらいたいと思います。