正御影供

     正御影供の次第(経本)


3月21日は正御影供(しょうみえいく)です。弘法大師空海が高野山奥の院で入定された日です。


高野山では弘法大師空海が入定した日を「命日」とは絶対に言いません。弘法大師空海は「亡くなっていない」からです。


ちょっと矛盾していますが、その理由を紹介しておきましょう。


弘法大師空海は中国で授かった密教を日本に弘めた人ですが、その中心になる教えは「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」でした。つまり、生きたこの身このままで仏になれるという教えです。

それまでの日本仏教は、何度も生まれ変わり、気の遠くなるような時間修行を積み重ねなくては仏になれないというのが定説でした。しかし、それを打ち壊した新しい教えを持ち込んだので、相当の反発もあったようです。しかし、人々は弘法大師空海の人柄に触れ、徳の高さに触れてファンになっていきます。そして今もなお衰えることなく信仰が続いています。

さて、弘法大師空海は62歳で入定(にゅうじょう)しています。
なぜ入滅(にゅうめつ)や寂入(じゃくにゅう)という言葉を使わないのでしょうか。その理由は「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」にあります。弘法大師空海は自らの体を使って「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」を体現しました。つまり、仏に成ったまま、今でも高野山奥の院におられるのです。

弘法大師空海は自らの入定(にゅうじょう)の日時を預言しました。


それを聞いた弟子たちは、口々に言います。

「ずっとお慕い申しておりましたのに、これからどうすればいいのですか」

「空海さまがおられてこその高野山。完成の日までどうして待てないのですか」



弘法大師空海はこたえます。

「私は自ら即身にして仏と成ろうと決めた。涙をこぼすでないぞ、寂しく思うでないぞ。そなた達が私の名を呼べば、この身を千にちぎってでも駆けつけようぞ」



弟子達は、膝をかきむしる者、床に伏せって涙を流す者、じっとこらえる者、様々でありました。後々まで空海さまのお姿を残したいと、肖像画を描きました。それは1200年の時を越えて、未だに現存しています。



これを「御影(みえい)」と言います。



真言宗の寺院では「御影(みえい)」を掲げて弘法大師空海の入定を供養します。この法要を「御影供(みえいく)」といいます。高野山でも山内をあげて盛大な法要が行われます。

私たち末寺の寺院でも同じように法要が営まれました。

弘法大師空海が残してくれたものはたくさんあります。これからも大切にしていきたいと心を新たにする日でした。


合掌


仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。


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