先日に四十九日忌を勤めさせてもらいました。
若くしてこの世を去らなくてはいけなかった故人はもとより、ご遺族の夫と実母は四十九日忌の法要に参列することは心に堪えたようでした。
私も「四十九日忌は旅立ちと言いまして〜」という通り一遍の話をしてもご遺族の心に響くはずもないと考えました。
覚えることが得意ではない私が、おぼろげながらに覚えている話をさせてもらいました。
今から15年ほど前に、若くしてこの世を去らなくてはいけなかった方がいました。
以前から体調後思わしくないことに気がついていましたが、病院が嫌いで受診しませんでした。気がついたときには手遅れで、手術しても手の施しようがない状態でした。
最後まで告知はせず、夫と子どもを置いて旅立って行きました。
私も故人と年が近かったこともあり、どうしてよいのか分からず途方に暮れたことを覚えています。そしてご遺族に対してこんな言葉を掛けました。
「突然の悲しみを受け入れていくまでに4つの段階がある。初めは感情が無くなって何も感じられなくなる。2番目に感情が大きく振れることがある。突然怒り出したり、急に涙を流して泣き出したり。3番目に葛藤が起こり、4番目に思い出として受け入れていくことができるようになる」
これを受けて故人の夫は「何もないのに突然に涙を流すことがよくあった。自分はおかしくなったのではないかと心配していた。でも、御住職の話を聞いて安心した。そういうこともあるんだと思えた」と懐述されました。
四十九日忌を終えた後に感情の振れが大きくなって不安になることもある。でも、そういうこともあるんだと知っていれば、少しは気持ちが違うように思います。
納骨を終え帰寺したころに夕立のような雨が降りました。四十九日忌に雨が降るのは、故人の悲しみの雨なのか、それとも仏さまの喜びの雨なのか。
私は普段なら仏さまの喜びの雨と言いますが、このときは故人の悲しみの雨のように感じました。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。