觀音寺のシンボルとしてイチョウの木があります。

 

子どもの遊び場だったときもあります。

夏にはセミたちの住み処になります。梨の棚よりも住み心地がいいのでしょう。

季節に応じて紅葉を見せてくれます。


長い間、風雪に耐えて成長してきたイチョウの木。
遠くから見るとよく分かりますが、全体的に少し北側に傾いています。
木が大きくなるにつれ、風を受けてしまうのでしょう。
それでもじっと耐えています。

空海上人の生涯にも、傾きそうになりながらじっと耐えた時期がありました。
一族の期待を一身に背負い上京。当時日本に1つしかなかった大学に入学します。
地方から入学できることはごく稀でありましたが、一族のコネと勉学の才で入学を果たします。

18歳の空海上人は才能をフルに発揮して勉学にいそしみます。おそらく学業の成績はトップ争いをしていたでしょう。
3年の修学期間を終えれば、官僚の世界に入り一生安泰です。一族もその恩恵にあずかることになったでしょう。
しかし、空海は2年で大学を辞めて忽然と姿を消し、山岳修行に身を投じます。

空海上人は「仏道に身も心も捧げたい」と出家をしましたが、一族は猛反対。当然の反応です。
一族の浮沈を掛けた空海上人に「裏切られた」と誹られても仕方がない行動でした。
そこで空海上人は出家の理由を書物に残します。空海24歳のときでした。

空海上人が出家の理由書を著したときは、一族の期待に押しつぶされそうになりながらじっと耐えた時期です。
空海自身も迷ったに違いありませんが、自分のことだけでなく、もっと大きな視野に立ったとき見えていたものがありました。

「親孝行は父母の2人にしかできない。でも、仏教ではすべての人を救うことができる。親孝行は小さな孝行で、仏教では大きな孝行ができる」

空海上人が今でも高野山奥之院で願い続けていること。

「全ての人々、全ての仏さまが救われるまで私の願いは尽きない」と永遠の瞑想を続けています。


イチョウの木も、毎年少しずつ枝を伸ばしてきました。風雪にも耐えてきました。
私たちも「毎日少しずつでいいんだ」「傾いてもじっと絶えることも必要なのだ」ということを
イチョウに教えてもらっているように思います。

 

合掌

 

仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。