続きものですので、初めてのかたはこちらをまずご覧ください。
「T・GIRL序章」
「秋斉さんでお願いします」
緊張で喉で声を詰まらせながらなんとか伝えて、私は秋斉さんが来るのをドキドキしながら待っていた。
2分~3分すると不意に品の良い香りが漂ってきて、花ちゃんとの話に相槌をうちつつ、視線だけその香りの方へ移すと暗がりから和服の男性が現れた。
「こんばんは、秋斉です。よろしゅう」
その澄んだ声と、胸元から覗く透ける様な白い肌、そして物憂げな瞳。
私は一瞬息が止まってしまった。
「・・・どないかしはりましたか?」
滑る様に歩いて、秋斉さんは私の隣に腰を下ろし、唖然としている私の顔を覗き込む。
「い、いえ・・・あの、実物が写真よりも数倍素敵だったので・・・」
率直に感想を述べてしまい、しまった!と思って下を向いて視線を逸らす。
顔中に熱が集まり始めたのを感じながら、前髪の下からちらっと盗み見ると、
「ふふっ、おおきに」
そう言って秋斉さんは先ほどの写真と同じように、閉じたままの扇子を口元にあてて優雅に微笑んだ。
2時間、私が彼と話して感じた印象は「どこか捉えどころのなくて、それでいて一分の隙もない人」だった。
花ちゃんが指名した匡(きょう)さんはいかにもホストという感じの明るく多弁な人だったから、落ち着いた雰囲気で寡黙な秋斉さんが時折見せる陰影が余計に色濃く感じられたのかもしれない。
お店を出てすぐに花ちゃんは、ハズレだったんちゃう?と私が秋斉さんを指名した事をそんな風に言ったけれど、秋斉さんの言葉は多くを語らないからこそ重くて、私はちっとも退屈を感じなかった。
「ううん、全然ハズレなんかじゃなかったよ」
「そう?でもあんまり盛り上がってへんかったみたいやし」
うちが誘ったのに楽しんでなかったようやから、と花ちゃんが気を遣ってくれたけど、私は本当に充実した時間を過ごしていたのだった。
「秋斉さんてほんと、物知りでね。なんか色々勉強になったよ」
「そんな、大学の授業やないねんから」
「あははは、でも全然楽しかったんだもん」
「ほんまにぃ?」
「うん!花ちゃんこそ、楽しかった?」
私が聞き返すと、ぽっと頬を染めて身をもじもじと捩らせた。
「もうあかーん、匡さんめっちゃタイプやねん」
「そ、そうなんだ・・・」
「うん、うちさ、ああいうイケイケな感じに弱いやん?」
「う、うーん・・・そう、だね」
「通ってまうかもしらん、どないしよー」
そんな事を話しながら私達は新宿駅に向かい、各々の目指す方向へむかう電車に乗って帰路についた。
数日後。
私は茶道「裏千家」の専門学校で講師をしている母が個人で経営している茶道教室に顔を出していた。
「あら、珍しい。どんな風の吹きまわしかしら?」
顔を見るなり母は柔らかな口調で厭味を言った。
「そんなに久しぶりじゃないじゃない・・・大学が忙しかっただけだよ」
生徒さんの待つ部屋に入って行く途中の母の背中に言い訳めいた事を言って、私は廊下の一番奥にある事務所へと向かう事にする。
特に母に用事がある訳ではなかったけれど、先日『T・GIRL』で秋斉さんの和服姿を見てからなんとなく久しぶりに母のたてたお茶を飲みたくなったのだ。
まだ生徒さんがいる時間だから、少し待って母の手が空くまで時間を潰す事にした。
事務所へ向かう途中、ちょうどお稽古を終えた生徒さんたちが廊下出て来たところだった。
生徒さんと言っても年齢は様々だった。
下は中学生から上は母よりも随分と年上のご婦人もいる。
どうやら数人の生徒さん達が、誰かを取り囲んで話しこんでいるようだった。
その輪の中から、頭ひとつ分以上飛び出した長身の後頭部に気付いた。
(へぇ~、男性の生徒さんもいるんだね)
生徒さん達の頭越しに見える後姿から、その男性が藤色の和服を纏っているのが分かった。
自然と秋斉さんを思い出して、ふにゃっと頬が緩んでしまった。
(やっぱり男の人の和装って好きだなぁ)
事務所の扉をめざしながら、その集団を追い越す時にふわっと覚えのある香りが鼻先をくすぐった。
(・・・えっ?)
立ち止って横を向くと
「あっ・・・」
数人の女性に囲まれているその和装の男性、それは秋斉さんだったのだ。
目が合うと、秋斉さんもこちらに気づいたらしく、少しだけ目を細めてまたすぐに生徒さん達との会話に戻った。
一気に心拍数が上昇した私は、急ぎ足で事務所へ駆け込んだ。
(見間違いじゃないよね・・・?)
香りだけならまだしも、顔も姿も秋斉さん本人である事は間違いない。
それに、目が合った瞬間に目だけで笑った気がした。
応接ソファに座って、胸元を押さえる。
私の心臓は落ち着くどころか、時間が経つごとにドクンドクンと激しさを増してゆく。
(どうして?なんで秋斉さんがここに?・・・生徒さん、なのかな?)
「あぁ、びっくりしたぁ・・・」
思わず独り言を漏らすと、コンコンと事務所のドアがノックされた。
事務所と言っても、経営者である母がデスクワークする為の机と、来客用の応接セットがあるだけの広さで、他の講師の先生たちの部屋はまた別にあるのだ。
だから、今この部屋には私だけしかいないから、他の先生か生徒さんが母を訪ねて来たのかと思い、返事をしながらドアを開けた。
「はぁい、母はまだ・・・」
ドアの前に立っていたのは秋斉さんだった。
「こんにちは」
秋斉さんはふっと柔和な笑みを浮かべて軽く会釈した。
「あ、あ、あ・・・こんにちは」
「紫音せんせは?」
紫音先生、とは母の事だ。
「えっと・・・まだ教室の方、です」
「そうどすか、ほな出直します」
秋斉さんはくるっとこちらに背を向けて、また廊下の方へ戻ろうとする。
「あの・・・秋斉さん、です・・・よね?」
私は勇気を出して声をかけた。
どうしてここに?
生徒さんなの?
私の事、覚えていますか?
次の質問はいくつも頭に浮かんでいた。
でも、振り返った秋斉さんは私の問いかけに答えをくれる事はなく、曖昧な微笑みを作って
「・・・またね」
流し眼で私を見て、少しだけ口元を緩めた。
そしてそのまま、また背を向けて行ってしまった―――
≪秋斉編2へ続く・・・≫