朝起きてすぐに鏡を見ると、いかにも「泣き晴らした翌日」といった感じで私の両目はおもいきり腫れあがってしまっていた。
(今日大学の受講ない日でほんと、良かった)
キッチンに家族が誰も居ないのを確認し、冷凍庫から氷を出してビニール袋に何個か放り込む。
タオルで巻いたそれを持って自室に戻り、再びベッドに寝転んで瞼に乗せた。
(あ、そうだ・・・携帯、携帯っと)
昨夜は慶喜さんに送ってもらった後、着替えてすぐに眠ってしまったから、バッグに入れたままの携帯を出そうと身体を起こす。
(・・・あれ?何、これ・・・)
膝の上にバッグを置いて手探ると、自分の携帯とは違う携帯を見つけた。
ケースは黒いスワロフスキーが一面にびっしり付いたもので、ずっしりとした重厚感があった。
「これ・・・誰、の?」
電源が落とされたままのiphoneを手にとって目を閉じ、寝起きで鈍っている頭をフル回転させる。
途端に、昨夜歌舞伎町の入り口で電話をかけ始めた慶喜さんの手元の情景が脳裏に浮かんだ。
「あああっ!これ、慶喜さんのっ!!!!」
あまりに驚いた私は、1人きりの部屋で思わず大声を上げてしまった。
(でも、どうして私のバッグに?タクシーの中で紛れ込んじゃったのかな・・・?)
もちろんこの携帯の番号はおろか、その他の連絡先など知らない。
だから返す手段となると、お店に持って行く他なかった。
(すぐに返さないと、きっと困ってる・・・よね)
この時代、携帯電話を失くすという事は大変な事態に繋がりかねない。
きっと、凄く膨大なお客様データが詰まっているだろう。
あれこれと考えた結果、午後になったらお店に電話してみようと思い、ネットでT/GIRLのサイトを探した。
電話番号を自分の携帯に打ち込んで、とりあえずもう少し目元を冷やしてからお風呂に入ろうと決めて、私はまたベッドに寝転がった。
T/GIRLの営業開始時間は19時からと記載されていたけれど、もしかしたらと思い午後1時を過ぎた頃、私は1回目の電話をかけた。
何度かコールした後、留守番電話のメッセージに切り替わった。
『はい、T/GIRLです。当店の営業時間は~』
「っ!!」
心臓が大きく跳ねた。
理由は、留守番電話のメッセージの声が秋斉さんのものだったから。
(標準語で話してる・・・けど、間違いないよね・・・)
ドキドキする胸を押さえながら電話を切って、溜息をついた。
「はぁぁ・・・」
(あ、しまった!留守電入れておけば、慶喜さんか他のスタッフが聞いてくれるかもしれないのに・・・びっくりして切っちゃったよ)
私はそれからしばらく悩み続けて、もう1度かけて留守電に残そうと決心をし、リダイヤルした。
また何度かコール音が鳴って、それが途切れた瞬間。
『はい、T/GIRLです』
「あっ!」
あきらかにさっきの留守電の秋斉さんとは違う男性の声が聞こえ、私は思わず驚きを漏らしてしまった。
「あ、あの・・・」
『はい』
「えっと、その・・・け、慶喜さん・・・いらっしゃって、ませんよね?」
『失礼ですが、当店のお客様でらっしゃいますか?』
「わ、私は・・・き、昨日・・・」
留守電にメッセージを残すつもりだったのに、不意打ちでスタッフが出た事で私の頭は一気に真っ白になった。
しどろもどろでようやく自分の名前を伝え、男性スタッフがそれを復唱すると
『えっ、あ、はい・・・』
すぐ横の誰かに話しかけられたのか、もう一度私の名前を口にして、オーナー宛にかかってきた電話だと言う事を伝えていた。
すると、微かに「代わって」と別の男性の声が聞こえた後。
『もしもし』
留守電と同じ声。
いや、それよりも少し低い。
たった4文字の「もしもし」に込められた突き離すような温度が伝わってきて、携帯を持つ掌にじわっと汗が浮かぶ。
そう、男性スタッフに代わって電話に出たのは秋斉さんだった。
「!!!!!!!」
(ど、ど、どうしよう・・・っていうか、なんで秋斉さんが電話に出るの?)
「あ、わ、わた、わたし・・・」
『・・・どないしはったんどすか?こないな時間に慶喜はんに電話やなんて』
「あの、その・・・」
秋斉さんの冷たい声色に少しだけ寂しさと恐怖を感じて、私の声はだんだんと小さくなっていく。
『昨日送ってもらはったんなら、携帯にかけたらよろしと違いますか?』
「えっ・・・?」
(あぁ、やっぱり昨日の慶喜さんの電話の相手は秋斉さんだったんだ・・・)
「いえ、その慶喜さんの携帯の事なんですけど」
『え?』
「ど、どうやら送ってもらった時に私のバッグに入ってしまってたらしくて」
本当の事なのに、何故か苦しい言い訳をしているような気持ちになってくる。
お願い、誤解しないで。
そう心の隅っこで思いながら説明を続けた。
「慶喜さんのポケットから落ちたのか・・・きっとタクシーの中で・・・」
『・・・へえ』
「あの・・・だから、お店に電話してしまったんですけど」
『慶喜はんは』
「えっ?」
『・・・慶喜はんはまだ出勤してないんどすけど』
「は、い・・・」
私が返事したあと、沈黙が流れた。
それはとても長く感じられて、私は息を殺して耳に全神経を集中させた。
ふぅ、と秋斉さんが息をつくのが聞こえて
『・・・そやから、取りに伺いますさかい』
「・・・?」
一瞬意味が理解できずに黙ってしまった。
(取りに来る?)
『今からわてがそちらへ向かいますよって』
「あっ、秋斉さんが・・・ですか?」
『・・・なんや不都合でもありますんか?』
またひとつ、声のトーンが落ちた気がして私は慌てて訂正する。
「そっ、そんなっ!!不都合なんて・・・」
ふいに、昨夜の秋斉さんの言葉を思い出す。
―――もう二度と来るんじゃない。
そう言われたのだ。
私は、喉元につかえた唾液をぐっと飲み下し
「・・・では・・・お待ちしてます・・・」
『1時間後、教室に行きますよって・・・それでええどすか?』
「・・・はい」
直後に「じゃあ、後で」と秋斉さんの声が聞こえ、すぐに通話終了を知らせる音が鳴る。
私がお店に行く事を、というより、私という存在自体を拒絶されているのだろうか?
そんなに嫌われるような事をした記憶はない。
というより、そもそもそれほどの仲にすら進展していないのに。
どうして・・・?
同じ疑問を何度か頭の中で繰り返しているうちに、約束の時間はどんどん迫って来た。
はっと我に返った私は急いで準備をして家を出たのだった。
≪秋斉編7に続く・・・≫