「まったく・・・どうして秋斉はいっつもそうなんだい?」
慶喜は呆れた顔してはぁっとため息をつき、俺を睨むように見ている。
閉店後にVIPルームでオーナーの慶喜と2人でミーティングしながら、一杯だけ付き合ってよ、と珍しく俺を誘った。
互いのグラスの中身も空になり、そろそろ帰ろうかという頃に慶喜がふと俺に言ったのだった。
俺を睨むそのまっすぐな目から視線を背け、テーブルの上の出勤表をパタンと閉じた。
「・・・なんの事、どすか?」
「わかってるくせに」
「さて、なんの事やらわてには皆目わかりまへん・・・」
「シラを切るつもりかい?今日来たあの子の事に決まってるじゃないか」
彼が何を言わんとしてるいるのか、勿論わかっていた。
紫音先生のところの“あの子”の事だろう。
「今日、泣き出しそうな顔をして店から飛び出して行ったじゃないか・・・あの子なんだろう?半年前にお前が話してた」
俺はその言葉を遮る様に立ち上がり、
「さ、無駄話はそれぐらいにして・・・帰りまひょか」
慶喜の返事を待たず、出勤表を持って俺はVIPルームを出た。
「あ、ちょ・・・秋斉!」
呼び止める声が聞こえたが、俺は振り返らずに後ろ手で分厚い扉を閉めた。
(・・・慶喜に見抜かれてるなんて、俺もまだまだ、だな・・・)
京都で老舗呉服屋を営む堅苦しい家庭で生まれ育った俺は、次男であるわが身をこれ幸いと実家を飛び出して、もっと違う生き方をしたいと京都でホストをしながら1人暮らしを始めた。
従兄である慶喜とは昔からウマが合ったから、彼とだけは疎遠になる事もなくまめに連絡を取り合っていた。
その慶喜も、偶然にも東京でホストをしていると知って、俺は京都を離れる決心をして上京したのが2年前。
最初は彼もまだ今と違ってオーナーという立場ではなく、歌舞伎町の店に在籍している一介のホストだったから、俺は彼の紹介で同じ店に勤める事にしたのだ。
とはいっても慶喜はその店の揺ぎ無いナンバー1だったし、その慶喜の紹介で入店した俺は従兄であり京都でナンバー1を張っていたという実績もあってか、店での待遇はかなり良かった。
そして慶喜が独立の話をし始めたのが、今からちょうど半年前。
それなら俺も慶喜が立ちあげる店で一緒に働こうと決めて、2人して同時にその店を辞める事にしたのだ。
その頃には常に店のナンバー1を争う程になっていた俺と慶喜が揃って辞める事は店に相当のダメージを与えるし、簡単に話がまとまる筈もないだろうと思っていた。
しかし代表が出した「俺達2人ともが半年間ホストとして働かない」という条件を飲む事を了承し、俺達は円満に店を辞める事が出来た。
約束した半年の間、収入は無かったが貯金は相当貯まっていた俺は、慶喜の店の準備も手伝いながら特にこれといってなにもしない日々を過ごしていた。
そんなとある日、ふと通りがかった茶道教室の前。
(あの子、この間も見かけたな・・・)
20歳前後の女の子。
以前見かけた時にも、茶道教室に出入りしている割に両手には道具らしき物も持っていなかったのでなんとなく気になって覚えていた。
立ち止って女の子の姿を目で追うと、入って行った教室の入り口に「講師募集」の張り紙を見つけた。
(そういえば、しばらく茶を立てていなかったな)
小さいころから母に言われるままに習った教養のひとつとして茶道があった。
華道よりも書道よりも、自分の気質に合っていたのか、何となくそれだけは高校を卒業しても続けていて師範の腕前にまでなった。
慶喜の店が始まるまで潰す時間はたくさんあったし、このまま何もせずに半年も過ごすのはもったいない。
そんな思いとちょっとした気まぐれだったのかもしれない、俺は次の日には履歴書を持ってその教室を訪れていたのだった。
経営者の紫音先生はとても物腰柔らかな中年の女性で、当時かなり派手な格好をしていた俺の事を変な目で見たりせずに“それじゃ、一服お願いします”と笑顔で言い、俺の立てた茶を飲み終えると“来週からお願いしますね”と深く頭を下げたのだった。
彼女は経営者としても長けていて“うちには女性の生徒さんが多いので、藍屋先生には和装で出勤していただきたいのですけれど”と言った。
最初はどうしてかと疑問だったが、俺の和装姿が目当てで徐々に生徒の数が増えいったと聞き、俺はすぐに納得して紫音先生の事が気に入ってしまった。
少しふくよかな体系と柔らかい笑顔をしていたが、とても頭の回転が良く、思った事をはっきりと口にするところや的確な指示をするリーダー的な性格がなんとなく慶喜とオーバーラップしていたからかもしれない。
講師としてここに勤め始めてから3回目の出勤日の事だった。
教室へ向かって通りを歩いていると、また例の女の子の後ろ姿を見つけた。
後姿だけで彼女とわかる自分に少し驚きつつ、目はしっかりとその背中を追っていた。
いつもは小さなショルダーバッグを肩から提げているだけだったが、今日は重そうな風呂敷包を大事そうに抱えて入り口のドアを開けて中へ入って行った。
(やっぱり生徒さん、だったんだな)
そうでなければ、茶道教室に風呂敷包を持って通う事なんてしないだろうから。
ぼんやり考えながら、自分も教室へ入って行くと、廊下に彼女の姿はなかった。
(あれ・・・?もう茶室に入ったのか?)
茶室を覗いたがそこに彼女の姿はなかった。
しかし、今日のこの時間は自分の稽古が入っているだけで他の講師の受け持ちはないはずだった。
(化粧室にでも行ってるのだろうか?)
なんとなくさっきから彼女の事が気になってしまう・・・。
結局、自分の教える稽古にも彼女は来なかった。
「あ、紫音せんせ」
本日1回目の稽古を終えて廊下に出ると、ちょうど事務所から出て来た紫音先生を見つけて声をかけた。
紫音先生の手元には、さっきの彼女が持っていた風呂敷包があった。
「あら、藍屋先生・・・どうかされました?」
「へぇ・・・あの、その包みは・・・」
俺の視線を追って自分の手元を見た紫音先生は
「ああ、これ?新しい茶器です、さっき娘が届けてくれましてね」
にっこりと笑って重そうな荷物を高く揚げてみせた。
「娘さんでしたか・・・てっきり生徒さんかと思てました」
「ふふふっ、あの子、たまにしか顔を出さないんですよ。私としてはちゃんと教えてあげたいんですけどね、あまりお茶に興味ないみたいで」
先生は続けて、こうやって用事がある時ぐらいしか来てくれないんですもの、と寂しそうに言った。
生徒じゃないとわかって、残念とも嬉しいとも言えない複雑な気分になってしまった俺は、その後も先生と何かの会話をしたはずだったがあまり記憶になかった。
(一方的に何度か見かけて、いつからか何となく気になっていた彼女が先生の娘、だったとは・・・な)
それなのに、まさか店にやって来て、しかも自分を指名するなんて思ってもみなかったのだ。
しかしそれは、友人の付き添いでやって来たのだとすぐに分かったし、何よりも彼女と自分は正式には初対面なのだし。
指名が入ったと言われ、彼女たちが待つ席に訪れた時の驚きは得意のポーカーフェイで隠し通したが、それでも彼女の隣に座った2時間、実を言うと胸中穏やかではいられなかったのだ―――
≪秋斉編4に続く・・・≫