「晋作さん、を・・・お願いします」
どうしてか自分でもわからなかったけれど、私は晋作さんというホストを指名した。
慶喜さんが先ほどの説明で「ドS系」だの「そっちの趣向」だのと言っていたから少しだけ恥ずかしい様な気もしたけれど。
花ちゃんは、ほんまに?と何度も尋ねて来るぐらい驚いている様だった。
写真の中からこちらを睨んでいる瞳と、悠然と自信に溢れた口元が目に焼き付いてしまっていたからかもしれない・・・。
―――結局、私のホストクラブ初体験は散々な結果で終わった。
T・GIRLを出た私と花ちゃんは、その場所から一本裏の通りにあるショットバーに入った。
酔った私は花ちゃんに愚痴をこぼす。
「ヒドイと思わない?」
「あぁ、もうわかったわかった」
「花ちゃんちっともわかってないー!ちゃんと聞いてってば!」
「はいはい、それでなんて言われたんやったっけ?もう何回も聞いたけど、言うてみ?」
つい先ほどの、T・GIRLでの出来事。
席について乾杯してすぐ、私の前髪を指先でつまんで
『前、見えてるか?もっと短い方がいいんじゃね?』
次は私の手に視線を落とし
『ネイルの色が派手だな。もっと可愛らしい色にしたら?』
最後には私の腰のあたりの肉をつまんで
『んんー、悪くはないが、もう少し細い方が好みなんだけど』
「・・・・・・どう思う?あり得ないでしょ?初対面よ、初対面。しかも接客業の人のいう台詞?」
私は説明しているうちにまた思い出してイライラしてしまい、花ちゃん相手に一気にまくしたてた。
「そりゃモデルみたいに細くないし、背だって高くないし」
目の前のカクテルグラスを持ち上げて、勢いよく飲みほした。
「だからってさ、ヒドイよね?」
花ちゃんの顔にぐっと近寄って、同意を求める。
「まぁーねー、せやけど、別にええやん?お店に行かなけりゃ、もう会う事もない人なんやからさ」
慰めてくれているのか、酔って面倒臭くなった私をあしらう為か。
花ちゃんの言葉は尤もだった・・・でも・・・
「そう、だけどさ・・・なんか、悔しいっていうかさ」
晋作さんにあれこれと言われ続けた針のむしろのような1時間を思い出して、なんだか虚しさがこみ上げて来た。
T・GIRLでのお会計は、うちが誘ったんやしと花ちゃんが支払ってくれた。
だからこそ尚更腹立って仕方なかったのかもしれない。
(あんな俺様な男に辱められる為に、時間とお金を使ってしまったなんて・・・)
頭に血が上ったせいか胸のあたりが苦しくなって、酔いが全身に回った気がした私は、ちょっと風にあたって来るねとバーを出た。
ふぅ、と肺の中の空気を全部吐き出して、それから大きく息を吸い込む。
「はぁ・・・」
心地よい温度の夜風が頬を掠めて、頭と顔の熱が少しずつクールダウンしてゆく。
バーが入っているビルと隣のビルの隙間に入って、非常階段のところに腰を下ろす。
(花ちゃんの、言う通りだけどさ・・・こんなにムキになる事ないんだってわかってるけど・・・)
傷ついた、というのとは少し違う。
腹が立った、というだけでもないし。
自分でも上手く言いあらわせない感情が、胸の中に生れていた。
(なんだか飲みすぎちゃったかな)
手に持っていた携帯にタッチして時刻を確認すると、もうとっくに日付が変わってた。
このバーに来たのが22時前だから、もう私は2時間以上も花ちゃんに愚痴を聞かせていた事になるのか・・・。
(花ちゃんに、謝らなきゃ・・・)
店内に戻ろうと座っていた非常階段から腰を上げかけた時、
パシン!
乾いた音がビルの間に響いた。
「・・・?」
考え事をしていて気がつかなかったが、いくつも密集している雑居ビルだらけの闇間に目を凝らすと、私のすぐ近く、裏通りに位置するビルの隙間に男女の影が見えた。
おそらく、女性は服装から見て仕事終わりのキャバクラ嬢。
向い側に立っている男性は女性に頬を叩かれたのか、こちらとは反対側に顔を背けて立ちつくしていた。
女性の方が何かを言って、ビルの隙間から通りへと飛び出して走り去って行ったが、男性は後を追う仕草をするでもなく、気だるそうにポケットから取り出した煙草に火を点けた。
「・・・あっ!!」
ライターの灯りで見覚えのある顔が照らされて、私は思わず声を上げてしまった。
慌てて口を両手で覆ったが、もう遅かった。
ゆっくりとこちらに振り向いた鋭い視線。
目が合うと、煙草を咥えたままニヤリと口角を持ち上げて、
「なんだ、見物人がいたのか」
呼びかけるように私に言って、くっくっくと肩を揺らして笑った。
「・・・の、覗いていた訳じゃありませんからっ!」
見物人という言葉に、私がずっと見ていたのだと思われている?と反応して、少し語気を強めて言うと
「ははっ、わかってるさ」
彼はビルに背をもたれさせて、紫煙を吐き出した。
その動作がさまになっていて、私は何故かドキっとしてしまう。
「でも、見ちまっただろ?」
今度はそれまでの視線とは違う、優しい目つきでこちらを見る。
さっきお店では見せなかった、穏やかな表情だった。
「は、い・・・まぁ、たまたま、ですけど」
「・・・そうか」
半分ぐらいの短かさになった煙草を地面に落とし、靴のつま先で軽く踏み潰す。
「別れ話、したら・・・いきなり殴られたよ。ざまあねえな」
こんな手形のあとをつけたまま店には戻れないしな、と自嘲気味に笑って
「お前、帰ったんじゃないのかよ?店出たのは随分と前だろ」
彼がこちらに向かって歩き出す。
「えっ?あ、私は、その」
今の今まであなたへの愚痴を言ってたのよ!とはさすがに言えなかった。
(ど、どうしよう・・・こっちに来る・・・)
ドクドクと鼓動が激しくなって、背中に嫌な汗が浮かぶ。
少しだけ後ずさりすると
「なんだよ、そんなに警戒すんなよ。女に殴られた男を慰める一言ぐらい、くれてもいいんじゃねえの?」
じろりとこちらを睨みつけながら一歩一歩、近寄って来る。
わざと作った怖い顔だったから恐怖は感じなかったけど、散々彼の愚痴を言った後だっただけになんだかバツが悪くて、背中にかいた汗が冷えていくような感覚をおぼえる。
すると突然、晋作さんの携帯が鳴り
「ああ、わかった・・・すぐ戻る」
指名客の来店を知らせる店からの電話を切ると
「おい、この辺りをあんまり遅い時間までふらついてんじゃねえぞ」
冷たい口調で言ってくるりと踵を返してあちら側へ去って行く。
「・・・」
少しほっとしながら無言でその背中を見送っていると、通りに出る直前で晋作さんはまたこちらを振り返った。
ぎくっとして身体をこわばらせると
「気をつけて帰れよ!またな!」
大きな声で言ってニヤリと笑い、姿を消した。
「えっ・・・!?」
不思議とさっきまでのもやもやした苛立ちが消え、別の感情が生まれた事に気づき、戸惑いを隠せないまま私はバーへと戻った。
≪晋作編2へ続く・・・≫