ある朝 『レジデンス・オストブラウ』の一室
「ちょいと、お嬢さん?
布おむつの方がいいのよ。
肌にも優しいし、愛情も伝わるものよ」
マルチーズを抱きながら、とある祖母が言った。
娘は紙おむつを手に取り、笑って答える。
「お母さん、それ昭和の話よ。
今の紙おむつは性能良いし、清潔だし、赤ちゃんにとっても快適なのよ。
愛情をそそぐのはおむつ替えの時だけじゃないでしょ?
昔は布おむつが一番だって言われていたのか知らないけど、今は違うの!
ポニョにおむつが必要になったらその時、あふれる愛情でポニョのお尻を包んであげてね(笑)
強いポリシーも良いけど、アップデートも必要よ(笑)」
名前を呼ばれた事に反応して娘を見ているポニョを抱きながら、祖母は少し考え、静かに頷いた。
「アップデートねぇ……
あ、今日は夕飯食べて来るから、私の分は作らなくていいわよ」
同時刻 株式会社 ギャラクシータクティクス
会議開始前の会議室には、まだ一人しかいない。
営業一課の古井は最前列に座り、スマートフォンで画像を見つめている。
画像とはいえ、毛筆で書かれた文章だ。
苦しい事もあるだろう
言いたい事もあるだろう
不満な事もあるだろう
腹の立つ事もあるだろう
泣きたい事もあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である
ドアが開き、営業二課の同期、仁科が入ってきた。
「古井、お前本当に何も言わないつもりか?」
古井は画面から目を離さず答えた。
「ああ。
規定以下の利益率で見積書を出したのは俺だし、
提出したのも俺。
だから責任を負うのも俺」
「違うだろ?
部長の指示だろ?
部長に値引きを強要されたんだろ?
あんな部長を庇う必要なんてねえよ」
「……いや、庇うっていうんじゃないんだよなあ」
仁科は歩み寄り、古井のスマートフォンを覗き込んだ。
「うっわ……
なんだそれ?呪いか?」
仁科はわざとらしく眉をひそめた。
「ん…これは、
海軍にいたじいちゃんが好きだった言葉だよ。
ちっちゃい頃から何度も聞かされた。
男は黙って耐えるものだって」
「確定じゃん」
「は?」
「じいちゃんが海軍か…
海軍のじいちゃんの孫ってのは、もっと自由なもんかと思っていたけどなぁ。
でもさ…
お前が耐え忍んでお前か、誰か、得するの?」
古井は答えない。
「得する奴がいるとしたらそれは、部長だよな。
社長は真実を知らないし、っていうか会社が損してるわけだから社長も損。
部長は何事もなかったように下手な仕事を続けるだろう。
そしてまた同じことをするんだろうなぁ…」
口を開かない古井。
仁科は、替えて間もない真っ白なスマートフォンを操作しながら言葉を続けた。
「お前にはこの言葉を知る権利がある」
通知を知らせる短い音が響き、古井の手の中にはこんな言葉が届いていた。
【自分の正当な権利を主張しない者は、他人の正当な権利が侵害されるときに、共犯の役割を果たす】
音読して、古井は小さくつぶやく。
「……えっ、共犯?」
「そうだ。
いま、お前は悪くない。
なのに黙る。
その沈黙がズルいやつを守る。
その沈黙で次の被害者が生まれる。
それって男らしいのかい?
ただ、お前が『耐え忍ぶ男』で在りたいだけなんじゃないの?」
古井は固まった。
廊下から他の社員の足音が近づいてくる。
固まっていた古井は、ゆっくり顔を上げた。
「あれ?……マジで?」
少し間を置いて強張り(こわばり)が顔から消えていく。
呪縛が解かれた瞬間だ。
「初手からずっと一方的だったはずの盤面が、一気にひっくり返されたオセロの気分だぜ」
仁科はニヤリとして、一言返した。
「そうだ!今お前は、打って変わって眩しいぜ(笑)」
ドアが開く。
最後に社長が入ってきて、号令のように言う。
「始めよう」
古井は深く頭を下げ、そしてゆっくりと顔を上げた。
静かに、しかしはっきりと口を開く。
「社長。
今回の利益率は、すべて部長の口頭指示によるものです」
ザワ・・・ザワ・・・
同日夜 ファミリーレストラン『アンネローゼ』
営業車のフリードを降りて、店に入った二人。
仁科は期間限定メニューの『キルシュアイス』を一口食べてからふざけて言った。
「今日のお前はカッコよかったぜぇ、古井ぃ!今日なにかあったのかい?」
古井は期間限定メニューの『ベリー・ロッサ』の横に並べたコーヒーにミルクを入れ、白く溶けていくさまを見届けて、そして笑った。
「(笑)そうなんよ。あったんよ。わかる?
それにしても、
なんだって俺は今まで、なんの疑いも持たずにあの言葉を愚直に実践していたんだろうな?」
「『苦しい事もあるだろう。言いたい事もあるだろう』ってやつか?」
「うん」
「そうだなぁ、
じいちゃんからの深い愛…
そして、じいちゃんへの強い信頼…
皮肉にもその絆の強さが、足かせを強固なものにしたのかなぁ?」
古井は天を仰いでつぶやく
「じいちゃん……」
仁科
「……」
古井
「明日電話してみよ」
古井は仁科に向き直った。
「アレ…なんだっけ?もう一回教えて」
「ちょっと待てよ…」
仁科は、フラッグシップモデルでもあるスマートフォンを見ながら言う。
『自分の正当な権利を主張しない者は、他人の正当な権利が侵害されるときに、共犯の役割を果たす』
「そう。
それを知って、耐え忍ぶ事がかっこいいだなんて、とんだ盲目だったと気づいたよ。
思えば…随分損して、周りも巻き込んできたのかもな…
でも今日
お前と、その言葉のおかげで俺は解放された!」
そう言ってベリー・ロッサを一口食べた。
隣の席で食事をしていたとある祖母が、スプーンを皿に置きながら身を乗り出した。
「ちょいと、お兄さんがた?」
二人が振り向く。
古井の口からはスプーンが滑り、口元に赤い筋が残った。
「急にごめんなさいね。
さっきの言葉、「苦しい事もあるだろう」っていうのは『男の修行』よね?
『軍神』と呼ばれた…山本五十六の」
古井は嬉しそうに答えた。
「そうです!
よくご存知ですね?」
「もう一つの言葉は誰が言ったのかしら?
「自分の正当な権利を……」って言った?難しい言葉ね。
最初の言葉とは正反対だから……
昔のお坊さんとか、歴史的な平和活動家かしら?」
仁科は思わず笑った。
「そう思いますか?
しかし、
そっちも軍人が言ったんですよ」
「あらまあ?」
祖母は驚いた。
古井はもっと驚いた。
「マジで?!」
祖母は「え?」という顔を古井に向けた。
仁科は二人の反応を楽しみながら、説明を続けた。
「とは言え、昔の軍人ではなく、未来の軍人です」
祖母は目を丸くする。
「未来?」
古井も目を丸くして、仁科の次の言葉を待った。
「皇帝にして銀河帝国元帥、および国軍最高司令官。
『戦争の天才』『常勝の英雄』と呼ばれた銀河の覇者。
遥か彼方で前線に立ち続けた、遠い未来の軍人。
『ラインハルト・フォン・ローエングラム』
そのラインハルトが17歳の時、友人との会話のなかで言った言葉です」
祖母は一瞬きょとんとしたあと、笑みを浮かべた。
「ああ、未来って……。
物語の人か。
昔のではなくて、未来のねえ……」
少し考え、穏やかに頷く。
「アップデートねぇ……フフッ」
祖母はちょっと笑って続けた。
「ねぇねぇ、海軍カレーご馳走するから、もっと詳しく聞かせてくれない?」
原案・総指揮: 大将
参謀(AI): Gemini & ChatGPT
※「原案・総指揮:大将」とありますが、この「大将」は筆者(元海上自衛官)のただのあだ名であり、山本五十六やラインハルト・フォン・ローエングラムを意識したものではありません。
※山本五十六提督は、戦争を止められない苦悩や悔しさを手紙に遺しながらも、最後の最後まで平和の道を模索し、命を賭して戦った人物です。私自身、そんな彼の強い信念と人間味を心から尊敬し、深く愛しております。
提督が遺したとされる「男の修行」という言葉も、本来は誰かを力で黙らせるためのものではなく、過酷な時代と葛藤の中で自分自身を律するために発せられたものだったのかもしれません。それがいつしか時代や都合によって独り歩きし、理不尽に耐え忍ぶためだけの言葉として広まってしまったのではないでしょうか。
平和と対話を誰よりも重んじた山本提督だからこそ、現代を生きる私たちがただ理不尽に耐え続けることではなく、正当な権利を守りながらしなやかに生きる「アップデート」を望んでくれている——私にはそう思えてなりません。
過去の教えや絆に感謝と敬意を払いながら、未来の視点を持って前へ進む。
この物語が、いま何かに耐え続けているどなたかの心を、少しでも軽くするきっかけになれば幸いです。









