自叙伝 その2 尼崎市へ
尼崎市は塚口へ来た訳だが、僕たちが生まれてからの事。
五つ上の兄、四つ上の姉、二つ上の兄、そして僕。
僕たちが生まれる前に亡くなった兄2人について、
お袋は「当時、お金がなくて病院へ連れてく事も出来ず、風邪で2人は赤ちゃんの時に亡くなった」と言ってた。
もし兄2人が生きてたら、僕と二つ上の兄はこの世に居ないだろう。
この写真で親父が抱っこしてるのは、五つ上の兄と思う。貧乏そうに見えない…
服は借りてきたのかな?
左がお袋。真ん中がお袋の妹。右が親父。
お袋は当時では背が高く162センチあったらしい。
五つ上の兄も体が弱く、記憶に残ってるのは広い病室で横になってる兄。
記憶に残ってるから、僕は3歳くらいかな。
塚口では屋号を「喫茶&スナック ハイウェイ」として、ほぼ寝ずに働いてた。
下は店舗、上が住居。
お袋は僕を背中に背負いながら仕事をしてたらしい。
お袋と僕。
親父はまだ当時無かったカラオケを始めた。
これがヒットして店は近くに店舗拡大し移転。
その頃はライブハウス並みの音響設備、ステージ、照明を兼ね備えてたが、始めた頃は学校で使うようなマイク。。。
エコーチェンバーはあったけどね。
カラオケは歌の入って無いレコードをかけて、その歌詞カードを見て歌うスタイル。
後にテイチク8トラックのカラオケが主流になったけど、設計は親父がやったとか。
けど、特許を盗まれたと言ってたな。
続く