Zの悲劇[新訳]/ E.クイーン[再読] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 帰国して最初のニューヨークの酷暑の間に、わたしはアメリカ文化に関する素養の不足を補うために、かなりの時を費やしたものだ。そのために、さまざまな通俗雑誌を読みあさったが、特に興味をそそられたのは、広告のページの向こうからわたしを見つめている、アメリカの企業や発展の見本の数々だった。



こういった文化風俗を小説の中に描き込むのは、S.ホームズものから続く伝統だけど、はて、最近のミステリィ小説はどうなんだろう、L.ライムのシリーズではそんな感じはなかったような、、🤔?あるいは日本の諸作についてもあまり読んでいないので、、🤔??


で、あらためて面白いな と思ったのは本作「Z」での語り手たるワトソン役のペイシェンス・サム

先の「X」や「Y」で捜査の人頭に立ったサム警視の愛娘で「Z」で本シリーズ初登場、ホームズ役たるD.レーンとの初対面では、



「あなたは回想録を書こうとしてらっしゃるのね!」



と、逆にホームズが初対面のワトソンに対しアフガニスタンにいたことがあることを言い当てるがごとくD.レーンを驚かす (^^) (*1) 


B.ロス名義での本作の発表は1933年で、翌1934年にはA.クリスティが「オリエント急行殺人事件」を発表している、そのA.クリスティ作では登場する女性が力強く描かれているのが印象的だったが、「Z」のワトソン役たるペイシェンスもそれに劣らず、というか、名探偵ばりの推理を披露するところなどは (*2) 、当時の世情を表しているかのようにも思えて面白いな と、、


そんなことも思いながら、今回の新訳を機に再読を


Zの悲劇[新訳]/ E.クイーン[再読]




彼はわたしたちにとって、縁もゆかりもない──赤の他人のはずだ。それなのに、いつしかわたしたちにとって大きな存在となっていたのだ──彼本人か、それとも、彼という人間が抽象的に象徴する悲劇そのものかが。

ラストの真犯人を追い詰めてゆく場面はやはり読み応えがある、物語の途中に差し込まれるあるシーンでは、何故これが必要なのか? と一瞬、作者E.クイーン (B.ロスの意図が分からなくなるが、否否どうして、なるほど なるほど


そして、いよいよ次は シリーズ最終章 かぁ、、楽しみに 新訳 を待つことにしよう◎



追記


解説にもあるように (これがまた読み応えがある、最後にひっそりとその生を終える人物の描写は、ここでは、後のシリーズへとつながる細い糸のようなものにしか見えない

が、しかし、実際には簡単には切れることのない確かな糸であった ということは、それが「ライツヴィル」シリーズとして結実させられた とみれば意義深いことだなぁ 


*1

「はじめまして」彼はていねいに挨拶すると、思いがけず強い力でわたしの手を握りしめた。「アフガニスタンにおられたのでしょう?」

緋色の習作 / A.C.ドイル 

小林司/東山あかね 


*2D.レーンとペイシェンスの推理合戦? は、《あかずの扉》研究会シリーズにみる後動と鳴海のダブル探偵もの? の源流とみることも出来るかな🤔