源九郎稲荷神社 (午の日)[奈良県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

関東にいた頃に、午の日に限ってのお稲荷様巡りを始めていたし、専用の御朱印帳も用意していた

 

でも、、

 

 

御朱印帳を開いてビックリ💦

 

 

なんと一昨年は一度もお稲荷さん巡りをしていなかったのだ、、

 

アレ アレッ ((((д ;)))) 💦 アレレっ

 

 

伏見稲荷大社は以前初午の折りにお参りしたことがあるから、久しぶりに? とは思ったものの、、

 

きっと きっと、

 

今年も人が多いだろうなぁ とやや消極的な気持ちにもなり、はて、では何処へ? とあたまを揺らし、巡らし、、

 

 

 その日は二月の初午であった。朝から江戸市中は稲荷祭りで大層賑わっている。奉納の狐の絵馬や太鼓を売り歩く行商人で、長屋の路地まで騒がしい。

コルトM1851残月 / 月村了衛 

 

 

源九郎稲荷神社







初午にて

 

源義経が兄頼朝との合戦に際し、幾度となくこのお稲荷様に助けられたことから、この稲荷に 源九郎 の名を贈った という伝説があるようだ、それがこちらの名前の由来となっているらしい

 

ほ〜 知らなかったよ💦

 

 

義経つながりでいえば

 

増上寺さんの「黒本尊」は「九郎本尊」ともよばれ、その元はその義経の念持佛だった というのは知ってはいた 👀




 

御朱印

初午にて



源九郎稲荷神社

奈良県大和郡山市









 

でもなぁ... 

 

いくら家康公が 源氏 を名乗ったとはいえ 叛逆の印 を押された源九郎判官義経である、その念持佛を持つことを公にするものだろうか?

 

と、ちと疑問もあり、、

 

 

それとも

 

家康公は判官贔屓 (ほうがんびいき 推し だったとか?

 

 

うーむ... 

 

 

 

追記

 

三大稲荷については、その一二は伏見稲荷 (宇迦之御魂神うかのみたまのかみ@古事記倉稲魂命うかのみたまのみこと@日本書紀) (*1) と豊川稲荷 (吒枳尼真天で間違いないようだけれど、その三については諸説あるようで、、

 

とはいえ

 

豊川稲荷さんにはまだお参りしたことがなく、これもよい機会だからと、折りをみてお参りさせていただこう と、このとき思い立った◎

 

*1

以前外宮のせんぐう館でうかがったことがある、何故に三重県には稲荷神社が思いの外少ないのかと、外宮があるにもかかわらずに と

近くに伏見稲荷があるからでは とその時お答えをいただいたのだけれど (伊勢國は伏見稲荷の影響圏内なわけね?

 

でもなぁ... 

 

 

で、ちと調べてみた

 

 

御稲御倉みしねのみくら は、内宮の所管社で (外宮ではないんだね、その御祭神は御稲御倉神みしねのみくらのかみ とあるようだ

 

「大治御形記」(平安時代では 保食神うけもちのかみ 、「神名秘書」(鎌倉時代では 宇迦之御魂うかのみたま とすると

 

 

👀 👀 👀 

 

ほ~~~

 

 

ということで、個人的三大稲荷として、

 

豊川稲荷、伏見稲荷、内宮

 

の列びとなるように御朱印をいただこう◎