稲園山長福寺 (通称七寺) (午の日) [愛知県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

御朱印には「豊川稲荷」とあるので、そちらからの勧請のよう

そもそもお稲荷様が全国に広まるきっかけは、京都の東寺 (真言宗) の造営を秦氏が請け負ったためだとか

秦氏の氏神が伏見稲荷大社であり、真言宗が全国にひろまるにつれお稲荷様も合わせて広まったという

 

 
稲園山長福寺 (通称七寺)
 
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荼枳尼天
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「豊川稲荷」は曹洞宗だけれども、元をたどれば真言宗で、そこから曹洞宗へと改宗したようだ、だから、曹洞宗とはいえ特に不思議ではないなぁ 

 

 

ちなみに、七寺さんでは他に観世音菩薩と勢至菩薩の両菩薩がひとつになった御朱印もいただける

このように、両菩薩がひとつになった御朱印は世にもっとあっていいはずなのに (*1) 、意外となくてレア感が✨

 

*1:おそらく「華厳経」にある早離と即離の兄弟の説話がもとになっているのでは と

 

 

御朱印

荼枳尼天

観世音菩薩と勢至菩薩

 

 

稲園山長福寺 (通称七寺)

真言宗智山派準別格本山

愛知県名古屋市

 

豊川稲荷さんはまだお参りしたことがない、諸々の環境が万事整い次第、、

 

 

そして、「華厳経」にある、早離と即離という名の幼い兄弟の話を思い出していた

亡くなった父母に会わせてやると騙されたその幼い兄弟は孤島に置き去りにされる、

その自らの運命を恨む弟に兄はこう語りかけ、そして抱きあって息絶えたという

 

 

「つぎにこの世に生まれてくるときは、この苦悩の体験を縁として、

 同じ悲運に泣く人たちを救ってゆこう。他をなぐさめることが、

 自分がなぐさめられる道理であることを、われらは学んだではないか」
 般若心経入門 / 松原泰道

 

 

その孤島を補陀落山 (あるいは 白華山 / 日光山 ) と云い、

つぎの世に生まれかわった兄を 観世音菩薩 、弟を 勢至菩薩 と云った、、


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  補陀落山 とは、パーリ語 (仏教聖典用語) でポータラカの音写、
  その訳名を、白華山、または、日光山というそうだ

  白華とは、無色純粋の清らかさのこと
  日光とは、陰影のない光明のこと

  そっかぁ... 補陀山長谷寺には麻布観音があり、
  日光発祥の地には日光山輪王寺の前身である四本龍寺観音堂があり、、

  観音様が祀られていることと、そういう意味でつながっているのか... 

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松原泰道先生の解説がいいんだなぁ... 

 

早離と即離という名前はそのままに、やり直しのきかない、

二度ともどらないかけがえのない 人生 を暗示している とある... 

 

厳粛な気持ちにさせられる