瑞鹿山円覚寺18 (『佛説譬喩經』にある譬え話) [神奈川県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 一番のもとはどこにあるのかは分かりませんが、
 私どもは『佛説譬喩經』にある譬え話として
 存じ上げています。
 
 
その日の管長さんのブログにある譬え話は、以前拝聴した法話の中にあったのでよく覚えている、だからすぐそれと知れた
 

 

また、最後に、

 

 

 即今、どう脱するのかと問い詰めるのが

 禅問答であります。

 

 

とあるように、この問いの答えを各々修行僧たちに語らせた後、御自身の答えを求められ語られたことを法話で話された

そしてその答えに、感嘆 したんだなぁ、、、

そのときのこともよく覚えている、なるほど... と 頷くことはそうはないのだけれど

今にして思えば、このコロナ禍のような状況の中でさえも通じるような こころの持ちよう 有りよう のようにも思え、、

 

 

その譬え話とはこんな話だった、少々長いが、以下に引用させていだだく

 

 

 広々して見渡す限り何一つない荒野を、旅人がさ迷い歩き続けています。

 すると突然凶暴な象が、襲いかかってきました。

 旅人は恐れて逃げ惑い、走るうちに目の前に空の井戸があることに気がつきました。

 ちょうど井戸の傍に木もあって、藤の蔓が垂れていました。

 その蔓に捕まって、井戸の中に潜みました。そうすれば象も襲ってこないと思ったのでした。

 先ずは安心と思いきや、周りには四匹の毒蛇が襲いかかろうしています。

 井戸の底をみると、毒龍が潜んでいます。

 しかしまだ藤の蔓に捕まっていれば安心だと思っていると、上の方でカリカリと何かを囓る音がします。

 見れば何と黒白二匹の鼠が藤の蔓を囓っているのでした。

 もはや絶体絶命と観念した時に、藤の蔓に咲く花から、一滴の甘い蜜が滴り落ち、旅人の唇にポタリと落ちました。

 その蜜の甘さに、狂象の恐怖も大蛇も毒龍のことも忘れてしまって、その甘い味を貪っているのです。

 

 これは譬え話であって、茫々とした荒野は、人生を表します。

 象は、無常を表します。

 藤の蔓は命を表します。

 黒白の二鼠は、昼夜の時間を表します。

 蔓を囓るのは、命は刻一刻と死に近づくことを表します。

 四つの毒蛇は地水火風の四大を表します。

 井戸の底に待ちかまえる毒龍というのは、死を表しています。

 そして甘い蜜は、五欲を表しているというのです。

 

 (中略)

 

 では、この井戸に中でぶらさがっている旅人はどうしたらこの苦境から逃れることができるのでありましょうか。

 お互いに考えたいものであります。

 はたまた、考えているうちに蔓が切れるのでしょうか、力尽きて井戸の底に落ちてしまうのでしょうか。

 もたもたしてはいられません。

 即今、どう脱するのかと問い詰めるのが禅問答であります。

 

 苦境からどう逃れるか / 管長さんのブログより

 20210823

 

 

さて

 

どうする? 

 

 

瑞鹿山円覚寺 

 

この日は運動会だったようで

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山門 関東大震災時にも倒壊しなかった という

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一撃亭 鈴木大拙博士が今北洪川老師の佇まいに感動したというのはこちらでだったかな... 

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如意庵 この雅に 今 があるなぁ

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黄梅院 夢窓国師塔頭

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おっと、、千手観音様の後方にあった木がなくなっている???

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帰源院 夏目漱石所縁でも

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御朱印

 

 

瑞鹿山円覚寺

臨済宗円覚寺派大本山

鎌倉五山第二位

御本尊は宝冠釈迦如来

神奈川県鎌市

 

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扁額は前管長足立老師の書だね
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【神奈川県】

神奈川の御朱印 (ねこの日) 2021-02-22