益田は情けない視線を私に寄越した。
「それは『南泉斬猫』ですか」
京極堂が云った。当然益田が尋き返す。
「にゃんにゃん何ですって?」
白山の道場に通いはじめてまだ日も浅い夏の頃だったように記憶している
東京タワー下のホールで開催された管長さんの講演会に引き続き、すぐ近くの金地院さんでの坐禅会では、管長さんの横におひとりを挟んで左側に坐らせていただいた
坐り終えた後の茶礼の時だっただろうか、参加者のおひとりが、『南泉斬猫』の公案はどうとらえたらよいか と管長さんに質問された
この時がこの問答を知ったはじめての時で、管長さんのお応えを含め今でもその時のことをよく覚えている
あるいはまた
関東を去る前の最後か、そのひとつ前だったか、白山での提唱がこの『南泉斬猫』だった
その提唱のなかで、白山道場と全生庵さんとのつながりや、その先代 (先先代?) の和尚さんの話など、それまでは点としてしか存在していなかった知識あるいは情報が、線としてつながっていたことに気付き、驚いたことを殊更に印象に深く記憶している
「有名な公案だよ益田君。それで了稔様はどう喩えられたのです?」
「了稔様はこう仰った──」
──はて愚僧を挟みて睨み合い、東西の両堂猫児を争うにさも似たり。
いずれか道(い)得ずんば即ち斬却せんか。この場に南泉普願居らず、
はたまた草鞋を戴く趙州も居らず、さて如何に。
「──と」
鉄鼠の檻 / 京極夏彦
先ごろ放送されたNHKの番組「100分de名著」では、金閣寺/ 三島由紀夫 (*1) が取り上げられていたようだ
で、その作中には何と『南泉斬猫』の記述があるという
いやー、知らなかったなあ、、というか、
「金閣寺」の初読は高校生のときで、それ以降の再読はないのだから、覚えていないのも、知らないのと同じこと、、今読めばまた違った感想を持つのだろうけれど、、、
*1:新潮文庫版の解説は新たに恩田陸さんが書かれてたね
さて
お盆の八月十六日といえば 地獄の釜の蓋が開く といわれる一年に二日あるうちの一日、閻魔様の御縁日、この日ばかりは罪人も責めを免れると伝えられる
もう一日は正月の十六日で、こちらは 初閻魔 だね
釜の蓋が開く とは、普段は拷問のために連日釜をゆでる鬼たちも、正月とお盆の十六日だけは手を止めて 釜の蓋を開けて 休むのだとか
年休二日制の鬼たちでさえ休むのだから、この世の人々も、この日を 閻魔様の御縁日 として休みましょう というわけだ
だから、本当は今日は働いちゃダメな日なのだが、、 (゚O゚)💦
江戸東京お閻魔さま四十四ヶ所
その四十四ヶ所のすべての寺院で、拝観、あるいは、御朱印をいただけるというわけではないようだけれど、関東にいた当時は閻魔様 (*2) の御朱印自体が珍しいこともあって、何ケ寺かお参りさせていただいた
*2:東京では他府県にないほどに実に多くの閻魔様がお祀りされている、何故か? とも驚いた
もちろん、その理由も調べもしていたのだけれど、今以てよくわかってはいない
勝林山金地院
院号の通り臨済宗南禅寺派の南禅寺東京出張所になる
新撰江戸三十三観音霊場第二十八番札所であり、また、江戸東京のお閻魔さま四十四ヶ所の一ケ寺でもある
御朱印
徳川家所縁ということで、閻魔様の御朱印には三つ葉葵の寺紋が押されることが多いようだ (稀に三宝印)
四十四ヶ所のいくつかのお寺さんでは、お願いして書いていただいてたなぁ、、
勝林山金地院
臨済宗南禅寺派
南禅寺東京出張所
御本尊は観世音菩薩
新撰江戸三十三観音霊場第二十八番札所
江戸東京のお閻魔さま四十四ヶ所の一ケ寺
→ 特に**霊場にあるような第*番札所という札番はないようで
東京都港区